昭和53年選手権
 ・ベンチ入り
昭和54年選手権
・2番セカンド。
 バントでは評価 が高かった。
F:主将でも当時親分は恐かった?
 O:親分は恐かったがカリスマがあった、これは深谷先生も同じでピンチの時でもワンチャンスが必ず来る
から辛抱しろとナインを励ましていたけど、そのチャンスは本当にあったし勝てたからな。
M:確かにそうだな。しかし、今大藤監督が親分のような指導したら、父母から何か言われるだろう。
それが当時の中京だったし甲子園への願望が強かった。
昭和54年の俺らのチームは弱小チームで甲子園はとてもムリで名電( 鴻野)が断然強かった。
俺らが甲子園出られたのは運が良かったが甲子園への闘志と中京のプライドだな。
※名電(鴻野)選手とは親友で毎年飲み会をすると言ってました。
F:今の中京の現状をどう思う。
 O:学力が高いのは野球の理解力が昔よりアップしているから理論の飲み込みは俺らより上だと思うよ。

中学監督:うちにも有望な生徒がいるけど中京さんから蹴られて他の私学4強に進学した例もあるよ。
 M:それは俺も同じだった。
 今の中学生は中京に入るのを目標としているのは事実だな。
中学監督:今度、名電Gに訪問することになっている。
何人か紹介するけど・・・・・。
O:左腕投手は中京に欲しいね。
  豊川の森福は良いよ!
  俺は好きだな。
  決勝戦でも打線が水物であるかは名電を見て判るが、今の愛知県レベルでは何処の学校も簡単に打てんと思う。
F:主将久しぶりだね。
 O:すまんが誰だったかな?
M:Fujioは体型が随分変わったからな。何キロあるんだ?
 F:ま〜その話はよしとして、今年の地区予選どう思ったかな?
O:中京も頑張ったとは思うよ。
 M:大藤監督はバッティングが好きだからな。
O:昔の練習スタイルを今踏襲すると問題があるだろうな。
  とにかく当時の親分は厳しくてよく殴られたナ。
M:試合に負けたら長距離ランニングはよくあった。

〈 1 〉 第18F種新聞通信許可  平成15年8月24日(日)発行   中 京 新 聞   真剣味地方部 Fサイト No32  
     
中京野球部OBと語る!
   昭和53・54年選手権大会出場の黄金選手。
  小川主将ショート・三輪選手セカンド名守備コンビ。
中京OB並びに中京ファンの皆様今日は。
昨日8/23に私と同期であった中京野球部OBの小川主将・三輪選手と合流し高校野球の行く末と過去の
思い出話や愛知県下の中学野球部の課題について4時間半かけてお話しを致しました。
その席には愛知県中学野球を2連覇した○○中学野球部監督も同席されて熱い会となりました。
4時間半という長い対談でしたので全部をここで掲載するには限界がありますから、その中心的な話題を
ご紹介させて頂きます。
掲載内容については許可を3人から得ていますが、小川主将の野球理論は凄いものがあり、何時の日か
どこかの高校からお誘いがきてもおかしくない様子でした。流石は元中京野球部主将の貫禄でした。
三輪選手も久しぶりにお会いし高校時代の懐かしい思いで話や中京野球部OBの交流様子を聞かせて頂き
ました。
ご子息を将来、甲子園への夢を叶わせるのが夢で、時間があれば硬式ボールでキャッチボールをしている
んだと目を輝かしていました。
中京に入学してくれれば一番嬉しいが、他校の私学4強に行くことになっても構わないと言ってました。
そんな事を言わず中京に入ってOBやファンに期待をさせてほしいと言いましたが、中京の学力基準をクリアー
できるか心配だと苦笑していました。ちなみにご子息は小学1年生です。(大笑)  −Fujio編集委員−
      
対談内容 

昭和53年選手権
・9番ショートで栗岡・武藤・ 辻選手と出場ベスト4。
昭和54年選手権
・主将として中京初の選 手宣誓をする。
 3回戦。

































まだまだ話は続きました。
後日また掲載を考えます。
最期に皆さん中京は全国の強豪校と試合をする機会を増やさなければならないと言ってました。
愛知県以外の強豪校と試合を繰り返して己の力量を計り経験をアップするのが急務との意見
でした。

           −Fujio編集委員−

1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 20 21 22 23 24 25 26 27 28 29 30 31 32 33 34 35 36
37 38 39 40 41 42 43 44 45 46 47 48 49 50 51 52 53 54 55 56 57 58 59 60 61 62 63 64 65 66 67 68 69 70 71 72