石川県ボート協会のあゆみ

石川県出身のオリンピック選手

新コース・・日本海コースの誕生

 本県のボート史は、旧制第四高等学校に漕艇班が結成された明治28年にさかのぼる。県内ボート界のメッカだった大野川では、四高ほか各中学が参加して盛んに競漕会が催されていた。中でも四高は昭和年代に全国高校総体優勝5回を数え、最強を誇っていた。
 しかるに長らくオアズマンに親しまれてきたこの大野川コースは、昭和43年に至り、金沢港造成のため、使用不能となった。代わる新コースは昭和48年に河北潟東部承水路に日本漕艇協会公認B級コース・・・石川県漕艇競技場(通称日本海コース)として竣工したのである。2千mコースと艇庫、管理棟を具備する当施設は、当初中西知事(当時)を理事長とする財団法人でスタートしたが、昭和57年に地元津幡町長(当時)の矢田理事長に引き継がれ、同時に名称も石川県津幡漕艇競技場と改称された。以後同コースを会場としてインターハイ(S51、60)及び国体(H3)のビッグイベントが行われた。

県漕艇協会の結成

 昭和24年に学生改革が行われ、金大の他、泉丘、二水、菫台、小松、七尾の各校にボート部が復活あるいは創部された。
 そして昭和27年3月に至り、それまでの県内各団体が大同団結して”石川県漕艇協会”が結成、誕生した。

金沢・津幡地区における活動

 金沢市内における一般クルーとしては白山艇友会、大野ローイング、電通、ヤマト醤油、古川農機、すみれクラブ、北國銀行、金沢市役所が相次いで結成され、活動を始めた。中でも北國銀行(S30)は国体5回の出場を、また全国初の官公庁クルーとして産声を上げた市役所は、国体4回の出場実績を残している。
 そして昭和34年にこれらをまとめた金沢市漕艇協会が組織・結成された。
 一方、高校関係では、まず金沢商業高校が昭和52年まで活動、同じく商業高校の河北台商業高校でも昭和49年から63年にかけて活動が続いた。
 さらに昭和60年には向陽高校、続いて津幡高校でも創部されている。

加賀地区における活動

 加賀地区における活動としては、まず小松高校があげられる。昭和30年に復活した同部では、艇庫の建設、新ナックル艇の導入、校内レースの開始などで実力選手の発掘、育成に努めた。
 一方、昭和48年に開校の小松商業高校でも開校と同時にボート部も創部された。
 この他、小松地区では昭和58年に小松市漕艇協会が組織され、梯川において親子ボート教室や市民レガッタを催し、普及に努めている。

能登地区における活動

 能登地区では、戦前の七中を受け継いだ七尾高校ボート部が昭和24年に復活した。以来今日まで豊富な人材と優秀な成績で七尾ここに在りを顕示している。
 また同部のOB会として昭和49年に”七星会”が結成された。一方、同じく能登地区の羽咋高校では、戦前の大正末から昭和20年にかけてボート活動がみられたが、復活したのは実に昭和52年になってからのことだった。

金大ボート部の活躍

 昭和24年四高の伝統を受け継いだ金大ボート部では、同部の監督コーチを探し求めていた。しばらく模索が続いたものの、有志部員らは昭和29年にいたり、一橋大学で漕歴を有する民間人監督を迎え、以来、情熱的な指導により、関選、中日本、朝日、インカレ等のレガッタに出漕し、善戦している。
 木造四高艇庫を活動の拠点としてきた金大は、昭和43年に金沢港造成のため、津幡町湖南大橋詰めの新艇庫へ移転した。
 また同部への物心両面にわたる支援を行うOB会“医王会”も当初より組織されており、金沢・関東・中京・関西の各支部に在住する会員は今や三百名を超えている。

中学生クルーの誕生

 日本海コースのオープン後、ボート愛好団体がさらに増え始め、昭和50年末頃から金沢女子短大高校、同短大、金沢学院大学のほか、金沢医科大学、金沢高専OBらによるクラブはつかぜなどが結成された。
 一方、昭和62年には全国中学連盟の普及策を受けて小松市丸内中学に端艇部がつくられたのである。
 当初はナックル艇が主だったがシェル艇化の傾向で、近年はオーシャンスカルやクオドルプルなどの種目も加わり、レースが行われている同校は県内レースへの自主参加のほか、全国大会へも鋭意出漕し、たびたび優勝を含む好成績を残しており、今や県内のフレッシュ中学生クルーとして期待の注目を集めている。

平成11〜20年の動き

 1999年(平.11)には(社)日本ボート協会の改称に準じて、従前の「石川県漕艇協会」を「石川県ボート協会」に名称変更し、新たなスタートを切った。
 次ぐ21世紀冒頭の2000年(平.12)はシドニーオリンピックの年だった。ボートには本県出身の2名が出場した。村井啓介選手(中部電力)は舵手なしフォアに出漕した。因みに同選手の父富雄氏もメキシコ五輪(1968年)にボート(エイト)に出場しており、親子2代にわたる偉業を果たした。
 一方、アトランタ五輪(1996年)にも出場歴のある長谷等(ひとし)選手(同じく中部電力)は軽量級ダブルスカルに乗艇。準決勝では、強豪のギリシャクルーに逆転勝ちし、悲願の決勝進出を果たした。強豪ぞろいの決勝ではデッドヒートの結果、6位入賞を獲得したが、これは日本ボート史上初の快挙でもあった。
 続くアテネ大会には出場者はなかったが、これまでの本県出身者のオリンピック出場は5大会、延べ11名を数える。
 毎年、催されるインターハイ、国体の活躍としては、2004年(平.16)の埼玉国体少年シングルスカル(以下 M1×)で坂本和哉選手(津幡高)が決勝6位入賞、また2007年(平.19)の佐賀インターハイM1×では、吉原至選手(小松明峰高)が5位入賞、さらに同年の秋田国体M1×でも大滝泰幸選手(中央大)が7位入賞を成し遂げた。

 一方、2005年(平.17)には、アジアでは初めての世界ボート選手権大会が、長良川国際レガッタコースで開催された。参加65ヶ国、選手約1,200名とオリンピックを上まわる規模の同レースには、本県出身の村井晋平選手(NTT東日本東京)が軽量級エイトに、長谷等選手(中部電力)が軽量級舵手なしフォアに、また東克昭選手(中部電力)が舵手なしフォアにそれぞれ出漕、力漕した。
 さらに2007年(平.19)にはイギリス ストラスクライドにて世界U-23選手権大会が開催され、本県出身の山本亮太選手(岐阜経済大学)が、軽量級ダブルスカルに出漕している。

 他方、ジュニアに目を向ければ、県内ではただ一校、ボート活動を行い、全国的にも実績を重ねている丸内中学校(小松市)がある。振り返れば石川国体女子シングルスカル(W1×)に出漕歴のある中村さなえ(現芦城中教諭)が創部して以来、県内外のレースに男女クルーを出場させ、輝かしい成績を残している。
 またその後を受け継いだ加藤丈司監督(丸内中教諭)が劣らぬ情熱と指導力で数多くの男女部員を率いている。近年のめざましい活躍としては、荏畑裕紀選手(トヨタ自動車)が2002年(平.14)の全中大会のシングルスカルの部で優勝、続く2007年(平.19)の全中選抜大会では田中香加選手が同じく女子シングルスカルの部で、さらには同年の朝日レガッタ(琵琶湖)で女子クォドルプル(シングルスカルの4人分タイプ)でも見事、晴れの優勝を成し遂げた。

 またボートを通じた交流としては、2004年(平.16)に至り、津幡町議会から金沢市議会に対し「津幡町民レガッタ」(一般町民参加による500mレース)への参加呼びかけがあった。これを受けて金沢市議会ボート部が結成され、各党派からなる23名の部員が同レガッタに鋭意、出漕し、親睦と交流の輪を広げている。
 今では近隣のかほく市、内灘町、さらには県境を越えて富山県の議員クルーの参加も見られるほどの賑わいぶりである。

 役員等の人事では、2000年(平.12)に至り、長らく会長を務めた山本勝美氏が名誉会長に、その後任として高木重知氏が5代会長に就任する交代が行われた。
 さらに2004年(平.16)には、高木会長から6代会長新田博之氏への、また理事長も吉田寛治氏から長浜和史氏へのバトンタッチがあり、以後、今日に至っている。

 なお、この間の特筆すべき慶事としては、2004年秋に山本名誉会長が永年にわたるボートの振興と発展に大きく寄与した功績により、叙勲「旭日双光章」受章の栄に浴されたことである。旧制四高漕艇部員として自ら全国大会優勝を果たしたのを皮切りに、戦後から今日に至る間の一貫したボートの環境整備の数々は、ひとえに同氏の尽力の賜物に他ならない。

 また1989年(平.元)には津幡町ボート協会が結成され、その初代会長として川崎邦男氏(元同町議会議長)が就任しているが、以来、同氏は、石川国体ボート会場地としての協力、町民レガッタの拡充など約20年間にわたり、大きく貢献している。さらに今期限りで勇退する副会長の堀昭七郎氏は、元七尾高校同窓会長をし、また同校ボート部OB会長として長年にわたり貢献した。過年度におけるインターハイ優勝や国体での躍進は、ひとえに同氏の変わらぬ支援、バックアップのお陰とも言えよう。

今後の取組

(1)安全対策の確立

 言うまでもなくボートはそれが河(川)水であれ、また湖(潟)水や海水であれ、常に水面と直結しており、本来は穏やかな川面をゆったりと漕ぐのに適した英国発祥のスポーツである。
 中でも古い歴史があるケンブリッジ・オックスフォード対抗レガッタは、ロンドンの風物詩として、つとに知られている。また、ボートは後ろ向きで進むことから、特に波風に左右されるデリケートな面がある。
 したがって、ボートは他競技よりは一層“安全対策”が求められる。本県では従来から選手の安全には十分な配慮を払ってきたところではあるが、このたび、日本ボート協会の指導を受けて、新たに水域安全委員会(中村健一委員長)を協会内に設けることとしており、選手、部員たちの日常トレーニング時に、即座に対応できる体制づくりに余念がない。

(2)強化と普及

 昨今の少子化やスポーツの多様化などの影響で、全国的にボート愛好人口の減少が見られ、わが県もその例外ではない。
 特に大学生のそれが顕著、かつ深刻となっている。ひっきょう、高校勢の確保と強化が大切である。県高体連ボート部門では、安田誠二専門委員長(小松明峰校教諭)、橋本竜司強化部長(津幡高教諭)のリーダーシップのもとで、いわゆるプラス1計画を着実に実行することにより、ブロック大会や全国大会での上位進出、入賞を続けたい。
 また普及面では前述の丸内中の他に、できれば“ボートのまち”を唱えて久しい津幡地区にもう一校、「有 ボート部校」を実現させたい。そのためには、まずもって指導者(顧問・監督)の確保が当面の課題となろう。
 3年ほど前になるが、津幡町住民による桜の苗木植が一斉に行われた。湖南大橋・金大艇庫横から石川県津幡漕艇競技場艇庫に至る約1キロの土手で、何年後かには、お花見レガッタが和やかに催されることも夢見ている。

石川県出身のオリンピック選手

 (表示は「年」「大会名」「種目」「氏名」「所属」「出身校」の順)

昭和40  1965  東京

  芳野 法一

昭和43  1968  メキシコ

  エイト  村井 富雄  同志社大学  小松高校
  エイト  新井 善範  同志社大学  金沢泉丘

昭和59  1984  ロサンゼルス

   舵手付きフォア  前口 英明  中央大学  小松高校

昭和63  1988  ソウル

  シングルスカル  坂田 昌弘  インテック  小松高校
  エイト      前口 英明  中央大学   小松高校

平成4   1992  バルセロナ

  舵手なしペア   太田 信子  インテック  小松商業高校
  シングルスカル  坂田 昌弘  インテック  小松高校

平成8   1996  アトランタ

  ダブルスカル  長谷 等  中部電力  津幡高校

平成12  2000  シドニー

  ダブルスカル  長谷 等  中部電力  津幡高校
  舵手なしフォア 村井 啓介 中部電力  小松高校

※ 村井富雄と村井啓介は親子2代にわたる五輪出場の偉業を果たした。
※ 長谷等はシドニー五輪LM2×(男子軽量級ダブルスカル)決勝で武田大作選手(ダイキ、福岡)と組み、ギリシャ勢に逆転勝ちし、見事6位入賞を獲得した。オリンピックでの入賞は日本ボート史上初の快挙となった。