足尾銅山
廃墟に目覚めて以来の憧れの地へ


カーナビと地図、webの情報を頼りに、栃木県に向かい、
足尾銅山付近で就寝場所を探す。
しかし中々発見できず、
仕方なしにコンビニ(といっても11時には閉店していたが。)の駐車場にて一泊。
一晩中走り屋さん達のスキール音やらエキゾーストに悩まされながら何とか睡眠。
翌朝明るくなって付近を見れば、足尾坑道観光の駐車場やら銅山親水公園やらと
就寝に困らぬ施設充実。
完全にリサーチ不足。









 足尾銅山は、江戸時代初期から銅を産出していたようだ。
明治時代に国営から民間に譲渡されると
大規模な開発が始まり、程なくして大鉱脈が発見される。







その後はアジア一帯でも有数の銅の産地となり、
国内の銅の生産量の四分の一を占めるまでとなる。
しかし、この銅山は大きな負の遺産を残してしまう。







小学校などの社会科でも学習する「足尾鉱毒事件」だ。
銅の製造時に発生する亜硫酸ガスにより山の木々が立ち枯れ、
次第に硫酸など鉱毒成分を含んだ山の土砂が渡良瀬川に流れ込んだ。








川に流れ込んだ鉱毒による魚の大量死や農作物の不作、
井戸水による死者など、鉱毒被害は渡良瀬川流域の広くに及び、
一部では現在でも鉱毒の被害が続いているという。








大きな問題を残したまま昭和48年足尾銅山は銅の採掘を終了する。
しかし、精錬作業自体は平成元年まで続けられたが、
その年の足尾への貨物線の廃止によって事業休止となり、現在に至る。









夏草や兵どもが夢の跡・・・
なんだかそんな句が頭を過った。








早朝、精錬所前をカメラ片手にふらふらしていると、
地元の方らしきおじさん犬の散歩がてらが僕に声を掛けてきた。







てっきり余計な事すんなよと叱責されると思っていたが、
おじさんは僕がどこから来たのか尋ねると、
「ほお、遠いとこからわざわざよく来たね。まあ、なんにも無いけどゆっくり見てってよ」
と言って下さった。






なんにも木がない山もあるから見ていくといい。
この道を真っ直ぐ上がっていけばあるから」
と、言い残すと、少し微笑みながら去っていった。




 おじさんに心の中で何度もありがとう。
と言って僕は精錬所内部に向かった。




僕がたどり着いたその場所は
銅精製過程で発生する成分から濃硫酸を作る施設との事。



















でも選鉱場跡と硫酸製造施設を見れただけでも十二分に感動出来た。





 現在、備前楯山など足尾の山々は
植樹を受け、本来の姿を取り戻しつつあるようだ。









 再訪の際は
是非とも銅山親水公園でキャンプでもしながらこの産業遺跡を眺めたいと思う。