【大学院(教育学系)向け用語集】

・パラダイム(paradigmクーン(kuhn,T.S.

クーン(kuhn,T.S.)によって使用された。

「一般に認められた科学業績で、一時期の間、専門家に対して問い方や答え方のモデルを与えるもの科学者たちが世界を見る一般的な方法であり、どんな研究テーマをとりあげるべきか=問い方・どのような種類の理論が受容されるか=答え方、指示する基本的な枠組みである。

・ストリーミング(streaming) バージェス(Burgess,R.G.)

 主として英国にみられる異質学級編成(能力別編成)。能力特化の組織の1つ。

バージェス(Burgess,R.G.)によれば、一連のテストや教員の評価にもとづいて、同一年齢児童・生徒の能力によって異なる学級(日本でいえばHR)に分けることをストリーミングといい、特定の教科に関して、その教科の能力にもとづいて児童・生徒をいくつかの授業学級(HRとは別)に分けることをセッティング(setting)という。

これに対してバンディング(banding)は児童・生徒を、平均以下、平均、平均以上といった幅広い能力集団に分けて学級を編成する方式を指す。

・ストラテジー(strategy) ウッズ(Woods.P.)(戦略方略

 この語は、社会学のなかでいくつかの意味で定義され使用されているが、ここでは、教室での相互作用の分析に限定した「ウッズ(Woods.P.)」の観点にもとづいて解説する。彼は、象徴的相互作用論を理論的背景としながら、相互作用のなかで、各行為者が自ら状況定義と行為目的を効果的に展開するための方略を「ステラテジー」とよぶ。

※サバイバル・ストラテジー

教師=教室においては、教師のストラテジーは、公的な教授目的にもとづいて教授=学習過程をスムーズに展開させていくものと、教師が直面するさまざまな状況やジレンマに対処し、切り抜けながら自己防衛をし生き残っていくためのもの。

生徒=教師のコントロールから自らを媒介として教室の相互作用をみることによって。教育学で定義される学習とは異なる現実構成のプロセスを明らかにすることができる。

・レリヴァンス(relevance)

 特定の状況、活動、プランを選び出すときに、その個人が付与する重要性として定義され、現象学的社会学の基本概念の1つである。

 個人は自分を取り巻く状況や対象のなかから、それぞれのレリヴァンスによって、世界を切り取り、対象を選択し、自分の世界像や現実生活のリアリティを構成している。生活世界は、こうした個人を起点とし広がるものであり、個々人のレリヴァンス介してかかわり合いつつ相互作用を営むものとして把握されている。このレリヴァンスもあるが個々人のユニークな個別的レリヴァンスもある。個性を喪失した、社会化された自我に個々人のユニークな個性や自由と主体性を回復しようとする私事社会の分析にとって、この個別的世界観形成と社会へのかかわりに着目したレリヴァンスの概念は1つの重要なキー概念となる。

・構築主義

構築主義とは、ごく簡単に言えば、我々の言葉が現実そのものを構成するという考え方に依拠して問題の成り立ちを理解しよとする立場で、現在では社会学だけでなく、心理学や文化人類学など多様な領域において支持される理論の一つである。

・メリトクラシー(meritocracy)

メリトクラシーとは、メリットつまり能力のある人びとによる「統治・支配」が確立するという社会のことをいう。貴族による支配(aristocracy)や富豪による支配(plutocracy)などになぞられたイギリスの社会学者M.ヤングによる造語。

 近代社会は試験や学歴を重視することによって血統や家柄ではなくメリットを重視する。こうして、社会はしだいに、能力のある者と能力のない者との対立になっていくという「ディスユートピア」が描かれた。しかし、試験や学歴はメリットの指標というよりも、支配階級が支配と服従を円滑におこなうための正統化イデオロギーであるという批判もつよい。

・ラベリング(labelling

 ある行為ないしは特定の行為者に対して、他者が逸脱(者)として特定のレッテル(ラベル)を付与する行為とそれにともなう社会過程をラベリングという。

 1970年代には逸脱論をリードするようになったラベリング理論においては、逸脱は、規範を侵犯する行為そのものに内存するのではなく、特定の個人に恣意的にルールが適用され、それにともなう人びとの社会的反作用の結果、レッテルを貼られた個人にそのレッテルにあったアイデンティティが形成された結果であると説明される。レマート・ベッカーらによって展開されたこの理論は、逸脱と自己概念m、社会的反作用、社会統制の関係についての社会学的理解示すものとして評価される。現在、逸脱研究以外の領域においても広く適応され、たとえば、学校のなかでの教師と生徒の相互行為をラベリング過程と見る観点から分析する実証的研究も行われている。

・アノミー(anomie

 「法の不在・無視」などを意味するギリシャ語に由来する言葉をデュルケムが社会学的概念として定式化した。デュルケムの用語法では、1つは制度レベルに着目し、経済機能の発展・拡大を規制する経済外的な規範欠如ないし弛緩し、集団生活や人びとの行為レベルに危機的状態をもたらすことを意味している。

もう1つの用語法は、欲求レベルに着目したもので、産業社会の進展にともなって、欲求を規制する規範が有効性を欠き、欲求の無規制的な昂進状態をもたらし、それを満たす手段と欲求と不統合をきたす状態を意味している。マートンは、デュルケムの後者を意味発展させ、社会的に強調された成功価値のような人びとに共通する文化的な目標と制度化された達成手段と不統合状態を指す概念として用い、さまざまな逸脱行動を説明する概念として使用している。

・イデオロギーとパースペクティブpersoective

 イデオロギーとは、複雑な社会現象をある程度一貫性のある理論でもって説明し、人びとが直面する社会的、政治的選択を容易にするような観念と信念のシステムである。イデオロギーは言いかえれば、社会現実に関する単純化された規範概念であるとともに、ある価値へのコミットメントをうながす評価的。説明的表象のシステムである。それだけにイデオギーは人びととの思考、行動を左右する。

 これに対して、パースペクティブ(persoective)とは「人間がどのように事実をみ、そこで何をとらえ、またどのように事実内容を思考のうちで構成するかという様式」(マンハイム)である。

 イデオロギーとの違いは、イデオロギーが往々にして一面性と虚偽性を帯びた認識体系となるのに対して、パースペクティブは、人びとのおかれた立場ないし存在に制約をうけた視座(Aspekt)にほかならないということである。

 教育現場において、教育活動を方向づけ、類型化し、評価する構えが教師のパースペクティブである。これは状況依存的であり、教師の観点から子どもとの相互作用をとらえ、そこで発生する問題状況を克服するために動員される知識とのセットでもある。

・学校文化

 学校においては成り立っている規範や価値観。学校生活を秩序づけると共に、教育的な役割を果たす。例えば男女別名簿に示されるように、学校のさまざまな活動は性別によって秩序づけられると同時に、それを通じて何らかの性役割意識が形成される。学校文化は教師文化や生徒文化などさまざまな下位文化のせめぎあいや、教職員や児童生徒の間の相互作用の中で生み出され、作り変えられている。学校文化を個々の学校の違いに注目して捉える場合、学校組織文化という言葉も用いられる。

・コミュニティ・スクール

 第二次世界大戦後の日本でのコミュニティ・スクール運動と呼ばれる学校改革・地域改革の運動が起きた。そこでは、地域社会の課題を学校教育の中心にすえ、地域の諸資源を学校教育に利用するとともに、学校の保有する諸資源を地域社会に開放することを通じて、書籍中心、教科中心の学校を生活中心の学校に転換し、同時に地域社会を改良することが目指された。

 もともと1930年代のアメリカで発達した考え方が第二次世界大戦後の教育改革の中で日本に紹介、導入されたもである。日本でもいくつかの地域で実践されたが、1950年代に入ると衰退した。近年の教育改革の中で、学校と地域の連携、開かれた学校づくりが課題とされ、改めてその重要性が注目されるようになった。しかし、最近では公立学校でありながら従来のように教育委員会が管理するのではなく。学校運営協議会を通じて保護者や地域住民が直接に管理・経営に関わる地域運営学校がコミュニティ・スクールと呼ばれている。

・意図せざる結果「創発効果(emergent effect)・「不条理効果(perverse effect)」

 行為者レベルでは合理的な行動であっても、それが集積されることによって、その合理性を無に帰するような思わぬ結果を招いて招来してしまうこと。 そうした結末を行為者の誰もが考えていなかったという意味で、意図せらず結果という。

 品不足を心配して買いだめに走ったのはよいが、皆が同じ行動を取ったために品不足が急激に深刻化してしまうといった事態を代表的な例として挙げることができる。誰の意図もないものが、相互作用のなかから、突然姿を現わしてくるという意味で「創発効果(emergent effect)」とも、好ましくない状況なのに個人の力ではどうしようもないという意味で、「不条理効果(perverse effect)」とも表現される。こうした視点は、各人が対等な立場で自己の利益を追求している相互依存システムの動態を記述するのに有効となる。

・イベント契機的貧困・貧困契機的イベントevent driven povertypoverty driven event

 イベント契機的貧困(event driven poverty)というのは、何かの出来事(たとえば離婚)を経験することによって貧困に陥る状況を指す。アメリカにおける貧困の女性(feminization of poverty)は、増加する離婚が1つの原因である。他方、貧困契機的イベント(poverty driven event)

というのは、貧困という社会構造が、あるイベント経験の誘因となる事態を指す。社会の構造とイベント経験、そして個人の社会構造(貧困)は、相互に循環的な影響関係のなかにある。イベントを制御するという視点と同時に、構造を制御するという視点を持たなければならない。

・校内暴力(学校秩序のゆらぎ)

 耐性の低下、教師の権威、教育要求と秩序の多様化

授業をはじめとする学校での活動は、教師の定めた形で、教師が生徒を監督・指示して進行していくし、その中で生徒は教師に敬意を払わなければならない。

 つまり、教師の権威と権力をもとに学校は秩序づけられている。

・心理主義化

 現代社会では、不登校をはじめ、様々な問題行動の原因について、心理学や精神医学、さらには脳科学などの知識や語彙によって説明しようとする傾向、説明を求めようとする傾向が強まっている。これらは社会の「心理主義化」の一側面と位置づけることができる。

 これは、強制的に病を治療するというより、個人自ら「心の持ちよう」を変えることを促し、それによって適応させていくという意味合いが強い

・総合的な学習の時間

 1980年代に始まったゆとり教育路線の延長線上にあり、学歴社会への批判・過熱化する受験競争に歯止めをかけるものとして考えだされ、「生きる力を育てる教育・考える力や判断力を高める教育・体験を重視する教育・自立や自己つくりにつながる教育」などである。

 教育の大きな転換で始まった総合的な学習の時間は、従来の授業の構造から自由なコミュニケーションを認めることで、学校教育を縛ってきた多くの既存の構造や枠組みを崩し、変化を促進する可能性をもっていた。

・ヒドゥン・カリキュラム”Hidden curriculum”

授業のコミュニケーションそのもの内に潜在し、明示されずに、意識化されないままに行われるている教育機能。

「かくれた」カリキュラムとも訳される。”Hidden”(かくれた)という用語で意味される内容は論者によってさまざまに定義されるが、ここでは、潜在的カリキュラムを、生徒たちが学校生活にうまく適応していくために学び取っている黙示的な規範、価値、および態度などの実際行動範囲でんぽ知識内容ととらえる。その内容は、教師によって明言されずに伝達される場合が多いけれども、しかし、実際の授業場面では生徒たちとの間で暗黙の了解をとりつけなければ成立しがたい性質をもつもので、きわめて可動性に富んでいて特定することが難しい。

・エスノメソドロジー(ethno methodology

 人々の方法論という意味で、エスノメソドロジー・会話分析研究というふうにセットで登場する会話分析は、一般にエスノメソドロジーを研究する分析手法として理解されているが、

より厳密にはエスノメソドロジーといことになる。つまり会話分析は、研究者も確かに行っているが、会話を中心とするコミュニケーションにおいて、そもそも会話の当事者どうしがお互いの(talk)に対しておこなっていることなのであり、それ自体エスノメソドロジーなのである。

・名前のない教育

 日常的な疎外感や不安を抱きながら社会に取り残されている事態に対して、それを社会に広く知らしめる必要はあるものの、名づけようもない得体のしれない問題で、生産・再生産される言説のすき間から絶えずこぼれ落ち、はみ出し、あふれ出す、現場の(いま・ここ)の現実にある。

・演劇的問題表象のメソドロジー

 劇として実際に再体験した、<いま・ここに>の臨床的方法実験。学校に限らず、広く教育・社会福祉臨床の研究における多様なインターフェイスを形成しうる方向性がある。

・T、ハーシ

非行理論で有名で「活動や関係への包絡(involvement)」という概念で、多くの少年が非行に走らない理由として、彼らが様々な人間関係や諸活動に繋がっているからである。

・アクションリサーチ

 実践への具体的な還元を目指して現場に研究者が分け入っていくリサーチ。

・ジェンダー

 社会的に作られた性別のこと。

1.「性別分業」男は活動の主体、

女は他者の活動を手助けする存在。

2.「異性愛」男は性的欲望の主体、女は性的欲望の対象。

3.「男性優位」男らしさと女らしさ。

※ジェンダーフリー

「ジェンダーからの自由」

保守主義と平等主義の考えの対比。

男女のあり方をめぐる異なる価値観が錯綜する状況であるからこそ、男女平等を目指す教育から始めると男女平等教育も可能ではないかと考える。※ジェンダーバイアス「性別による期待の違い」

※アイデンティティ

 「私が何者であるか・私の在り方」

1つは「私」を評価する基準としての、社会的に共有された規範や常識。

2つ目は、「私」を評価してくれる身近な他者の存在。

・非行防止

基礎学力をしっかりみにつけさせ、生徒一人ひとりが自分で進路を選択していけるよう手助けすることではないだろうか。非行と社会経済的な要因は依然として結びついている面がる。このとき、もともと困難を背負っている生徒に基礎学力をことによって、結果的に非行や逸脱の予防につながると考える。

※放擲(ほうてき)投げ捨てること。移譲(任せる)

・矯正の現状

我々の社会全体が生み出したであろう非行少年に対して、その統制や非行少年の保護、矯正などにかかるコストやリスクを、社会の多様な構成員が広く分担し背負っていこうとする発想が必要ではなかと考える。

  解釈的アプローチ

解釈的アプローチの特徴は、人間の行為や相互作用が、動機づけや社会構造によって規定されるよりも、むしろ人間による解釈過程を媒介にしてたえず生成・構築される、と考えるところにある。だが、解釈的アプローチも社会学的研究方法である以上、あくまで社会(客観)から個人(主観)を説明しようとする方法であり、決してその逆ではない。また、行為における主観的意味と、理解的方法を重視する理論視座は、すでに現象学的立場にたつ形式社会学、文化社会学、あるいはウェバーの理解社会学などにみられる。

・適応指導教室

 適応指導教室とは、都道府県や市区町村の教育委員会が学校以外の場所や空き教室などに設置し、学校に登校できないがそれ以外の場所に通うことはできるような子どもを対象に、少人数での指導を行う施設の総称である。

・葛藤理論 “conflict”にあてる訳語によって、「紛争」・「闘争」理論

 “conflict”にあてる訳語によって、「紛争」理論、「闘争」理論と訳されることもある。これらの訳語のいずれを選ぶかは、訳者の立場を微妙に表現しているともみられる。希少な価値、地位、権力、

資源などの取得をめぐる、集団間の利害対立・抗争によって、社会現象を説明する。葛藤が破壊的であるとか、避けなければならない逸脱であるとは考えず、むしろ社会生活に普遍的に存在する、不可欠の事実であるとみる。葛藤あるいは闘争についての力点は異なるが、教育社会学における、ネオ・ウェバー学派とネオ・マルクス主義がこれに含まれる。それらは、いずれも教育が地位や報酬を得るための競争。とりわけ階級の再生産に利用されているち見る点に特徴がある。

・機会均等

 平等主義の伝統的な基準の1つ。その定義は、能力と関わって次の2つに区別することができる。

各人が現に持っている能力の行使に関する機会均等(機会均等のメリトクラシー的定義)。

各人が潜在的にもつ能力の開発に関する機会均等(機会均等の教育的定義)。

 しばしば指摘されるように、機会均等の概念は能力の多様性と分配構造の不平等性を前提にしているので、それ自体を平等な分配を実現するための手段とみなすことはできない。むしろ、現実の不平等を正当化するまた、正当化するイデオロギー的な側面を持っている。また、機会均等によって、正当化される不平等は世代の機会を不平等にするように働くので、この考え方のなかに自縄自縛の構造があることも見逃せない。しかし、現実には依然として実現しているか否かが焦点となっており、「結果の平等」論に見られるように今日でも平等主義イデオロギーとして機能している。

・社会的絆 (social bonds)

 個人が所属したり、あるいは何らかの準拠点を置く人間関係、集団、制度などへの結びつきへの糸を意味する。逸脱理論では、この社会的絆が個人を慣習的規範の世界に繋ぎとめ、逸脱を抑制する役割を果たすと考えられている。この逸脱への内的抑制機能に着目した理論がハーシィのコントロール理論であり、一般にボンド・セオリーと呼ばれている。ハーシィは、家族、学校、仲間集団などの社会集団と社会的な絆を形成している少年は、非行行動に陥る可能性が小さいとし、この社会的絆の要素として、意味ある他者への愛着(attachment)慣習的活動に自分を巻き込ませかかわりをもつ程度(involvement)、法を正当なものとみなす信念(belief)の4要素をあげ、これを実証的に検証している

・擬似イベント

 ニュースは取材されるものではなく「製造」するもので、英雄という存在は注文製造される「有名人」によって影が薄くなり、また予期せぬ感動と結びつけいたアドベンツチュア旅行もあらかじめ作りあげられた擬似イベントによる「観光」体験と化してしまう時代に、私たちは生きている。このように私たちの経験世界が、本当に起こった自然発生的出来事に取って替わって、合成的で新奇な出来事で充満するような時代、つまり「擬似イベント」が大量発生・伝達・消費される時代の

構造を喝破したのは、ブーアスティン(Boorstin.D.J)である。(幻影の時代)。複製技術革命、またその後のシミューラークル、記号消費といった一連の概念展開ともかかわる消費社会解読のためのキー概念である。

・機能主義

 社会現象をいろいろな要素が相互に関連しているものとしてとらえ、これらの関係が全体社会システムの統合と秩序を維持するのに役立つと見る社会構造・社会関係の見方。日常思考にもっとも近く、わかりやすいので、支持者は非常に多い。教育についていえば、さまざまな社会ニーズを満たす教育の機能、とりわけほかの社会制度や社会活動への教育の貢献を強調する。たとえば、教育の拡大については、経済の急速な変化や技術革新などによって、新しい職業が要求する新しい知識や能力を身につけさせる必要から生じると説明する。それは、技術の役割を過大視して、葛藤やイデオロギーの重要性を過小評価していると批判される。

・教育現実の暴露「現実を構築」(reality-construction

 自明視されている知識の体系を疑問視するという知識社会学の視点は、「新しい教育社会学」と結びついて、教育現実とりわけ学校内部の教育過程、教室における教師・生徒間の交渉過程に目を向けさせ、その現実を暴くための方法論を提供した。これによって、教授過程は、まずもって教師っがもつところの専門的・アカデミックな知識と生徒のもつ常識的知識とのぶつかり合いであり、同時に教師の生徒についての判断や評価と生徒の教師に対する意味付与が、具体的な「交渉」としての教授・学習過程のなかで「現実を構築」(reality-construction)するのだ、ということが明らかになった。

・心性mentalite

 人びとが日常的に感じたり、行動したりするときのもとになる集合無意識ないしは半意識。

しばしばその時代の人びとによって自明視されていて気づかれない。精神分析における個人的無意識に対応する同時代の心の深層。心性は常数として作用し、社会の変わりにくさを規定するとともに、革命などの急激な社会変動の要因にもなる。「あなーる」誌を創刊(1929)した人たち、とりわけフェーブル(Febvre.L.)やルゴフ(Lle Gogg,J.)などによって展開されたが、オランダのホイジンガ(Huizinga,J.)やドイツのエリアス(Elias,N.)が先鞭をとってつけた。周辺生活者や犯罪、病いなどの逸脱性、感情などに着目することによって曖昧で名状しがたい社会と歴史の深層構造を掘り起こすことが意図されている。

・生徒の下位文化 (subculture

 生徒集団に固有の価値規範や行動様式をいう。それは単一ではなく、いくつかの下位類型に分化しているのが普通である。生徒の下位文化を類型しようとする多くの試みは、ほとんど向学校(pro-school)が反学校(anti-school)かという基本軸を検出してきた。このように分化するのは、\古未僚仗罰級の文化と教師の中流階級文化が適合するか否かによって、生徒文化が向学校と反学校とに分化するからである(分化葛藤説)とか、∪古未鬟▲デミックな基準にもとづいて「分化」させると、下位に位置づけられた生徒は失敗した者とみなされて、地位を剥奪されるから、学校の価値に対する生徒の行動や態度は、対照的に分極化する(地位不満説)と説明される。わが国では、これらの説明が依拠している前提が必ずしも妥当しないのではないかと指摘されている。

・教育知educational Knowledge):日常知(everyday/commonsense Knowledge

 学校において伝達される知識内容と認知様式を意味するので、学校知とも呼ばれる。教育知は、学習者に対して、日常知(everyday/commonsense Knowledge)の文脈から切り離された記号の操作を要求するから、新参者にとってそれは適応を迫る社会構造として意識化されるけれども、しかし、彼らは教育知の構造に取り込まれこれを内面化するような社会化されるために、やがて教育知そのものを自明化するようになる。このとき、教育知は学習者の経験構造を統制する装置に転化するが、これらの統制過程こそバーンスティンが教育知のコード理論によって注目するところである。

また、ブルデューは教育知と文化資本の関係を指摘し、両者による文化的再生産の構造を解明しようとしている。

・現象学的社会学

 一般には、日常生活世界と、その意識の存在との関連性を分析、記述することを主たる目的とするフッサール後期哲学に由来する社会学ととらえられる。シュッツ(Shutz,A.)は、現象学を社会学的方法論として位置づけ、社会の存在についてのあらゆる前提を保留し、人びとが自明視している日常世界がいかにして成り立っているのかを示そうとする、いわゆる「日常生活の社会学」あるいは「現実構成の社会学」を確立した。彼の現象学的社会学は、さらに、日常知識が制度の知識にもとづく「類型化」を媒介としながら、個々の人の実践問題解決を志向する方向で再構成されていく分析することによって、シュッツの主観主義を修正しようとする、バーガーとラックマンの方向と、人びとの現実構成の方法をない内存的に理解し記述することをめざすエスノメソドロジーなどへと展開していく。

・教育の道具的価値と象徴的

 もともとはアメリカの社会学者R.J.ハヴィーガーストが教育と社会移動の関係を説明するのに用いた概念。

彼によれば、教育が特定の目的達成のために直接使われる場合にはその教育は道具的(機能的)価値を持つという。

たとえば、建築学を学んで建築家になった場合、その人にとって建築学の教育は道具的価値をもったことになる。また教育が、社会的地位のシンボルとして使用される場合には、象徴的な価値をもつという。ある人がイギリス文学の教育を受け、それに直接関係する職につかなかった場合や、ある人がコンピューター・サイエンスを学んだ後、それを全く使用しない家業を継いだ場合には、教育は象徴的な価値をもつことになる。

・構造主義

 1980年代のフランスで生まれた、構造あるいはシステムを中心概念とする現代思想の流れを総称して「構造主義」

と呼ぶ。ここでいう構造とは、「諸要素の単なる総和ではなくそれからが密接にかかわりあっている全体であり、1つの要素の変化が直ちに他の諸要素および全体に変化をひきおこすような統合的な諸関係の総体」(レヴィ=ストーロス)と定義される。すなわち、構造は、事物の自然的・具体的な関係ではなく、事物がそれによってほかから区別されて(差異化することで)出現する「関係のシステム」であり、個人の歴史的。社会的実践において無意識のうちに形成される。

・合理的支配

 ウェーバーは、ある人間集団が特定の命令に服従するチャンスを「支配」といった。支配は人びとに対して、自ら支配への正当性への信仰を目覚めさせ、培おうとするものである。こうした、人びとの正当性への信仰を基礎づけられた支配=正当的支配の理念型には、合理的支配、伝統的支配、カリスマ的支配がある。伝統的支配とは長老制のように、正当性が昔から伝えられた秩序や権力の神聖さにもとづく支配であり、カリスマ的支配とは非日常的性格をもった支配である(カリスマとは元来、神から与えられた天賦の資質としての超人間的、非日常的な呪術、予言、武勇、弁舌)。これに対して合理的支配とは、正当性が法規化された秩序や命令権の合法性への信念にもとづく支配であり、そのもっとも純粋な形態が官僚制的支配である。官僚制化は、 ウェーバーにとっては、近代化、産業化にともなう諸制度の合理的再編成(伝統的支配からの脱却)における不可欠の過程であり、あらゆる近代セクター(国家、教会、軍隊、政党、学校、経済組織など)は、官僚制的再編によって発達してきた。

・新しい教育社会学 (new sociology of education

 M.F.Dヤングの「知識と統制」(1971)を境にして1970年代に1つの学派として認知されるまでに成長した「新しい教育社会学」の意義は、それが自明のものとされている教育的現実、とりわけ学校知識の自明性を疑うところから出発した点にある。そこで用いられる接近法は、象徴的相互作用論者が好んで用いる意味付与、状況定義、解釈過程といった概念から成り立つネゴシェーション図式を教授=学習過程に適用することであった。そしてもう1つの柱は、知識社会学にもとづく知識のの配分メカニズムの分析である。このようなパースペクティブを武器にした若手教育社会学者は、従来のリベラルな教育者や教育改革論者の楽観的な学校観に反発し、知識配分の不公平を指摘するとともに、それだけにとどまらず、知識の内容とフォームを区別し、どのような知識が伝達されるかを問うだけでなく、知識がどのように伝達されるかを問題にした。

・私事化・私化(privatization)

 法律や経済の仕組みなどの制度的レベルでは、国家や地方自治など社会の公的部門が財政上あるいは管理・運営上の責任を担っていたものを、私的企業や国民などの私的部門の手に移管し委ねていくことを意味している。

・教育の収益率

 物的資本投資との類推によって、教育を受けること(人的資本投資)によって増加する金銭的収益を評価する試み。

  個人的収益=社会的収益

・コード(code)

 言語学や記号論の概念であるコードは、本来、言語を組み立てる一群の規則をさす。

「精密コード」「制限コード」

・子ども期

 「子ども」あるいは「子ども期」という概念が、歴史貫通的な意味あいをもっていると考えがちな私たちの「常識」を、その綿密な考証によって打ち砕いたのが、P.アリエス(子供の誕生)である。=小さな大人