wildpowerアスリートブログ
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26.行政サービスとは 27.天変地異 28.これで良いのか日本の農業 29.一通の見舞い状  30.激甚災害指定基準
31世界遺産登録延期 32原油高騰の歯止 33連帯責任の是非 34廃止の論理 35.経営者の気概
36.総理の裁量 37.戦後最大の金融危機 38.非常識な輩 39.自然と共に! 40.国の財政支援
41.豊かさの実感!! 42.裁判員制度に異議申す 43.真のサービスとは 44.ダム理論の検証 45.慈愛の心1
46.逆転の発想 47.不法滞在者の法改正 48.プロとアマ 49.公的資金の行方 50.介護福祉の行方

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■介護福祉の行方(平成21年5月3日)
シングル介護、老々介護と高齢化社会に伴って年々介護のあり方について益々問題視されている。
つい最近もタレントの清水由貴子さんが母親の介護疲れからか、実父の墓前で尊い命を絶った。母親を施設に入れると言う手もあったと思うのだが、自分自身の手で母を介護したいと言うことで、かなり追い詰められたのだろう。
近隣の人達へも常に明るい態度は崩さなかったと言う。「顔で笑って心で泣いて」周りの人達に介護の大変さや辛さを少しでも話していれば、そこまで追い詰められないで済んだかも知れない。相当なストレスだったのだろう。
人事の様に感じるが、両親だってもういい年である。何時同じ様な目に遭うか検討も付かない。「明日は我が身」と言うことである。もし万が一そうなったなら、兎に角一人で抱え込まない事だ。
公的機関に相談するなり、デイケアを利用するなり、施設を利用すべきである。ただ、その施設を利用する上でネックになるのが利用料である。潤沢とまでは言わないものの、ある程度の蓄えや、収入がある人であれば問題はないのだが、介護するために職を辞して介護に専念せざるを得ない人達が増えているのが現状の様だ。
介護保険料は原則1割負担。例えば、要介護5の場合、一般的に自己負担額が3万円前後である。
例えば国民年金受給者の要介護の母と、介護者が娘さんのシングル介護の場合、娘さんは介護のために仕事を辞めたとする。当然収入は途絶え母親の年金を頼る以外に無い訳だ。
年金と言っても、月に換算すると7・8万円ぐらいだろうか。介護保険に3万円出したとすると、残りは4万円たらずである。4万円で食費や光熱費、挙句の果てに家賃まで払える筈が無い。せめて生活保護でも受けられれば良いのだが、なかなか踏み出せない人達がいる様だ。
一人で抱え込んで路頭に迷っている人達もいる。貯金を削って爪に火をともす様に、しっそに質素に暮らしている人達もいる中で、今年の4月から自己負担額が増えたと言うのだ。
いったいこの国の社会保障はどうなっていくのだろうか。「強きを助け弱きを挫く」ような政治は決してあってはならない。確かに「国におんぶにだっこ」ばかりでも困るかも知れないが、動けるうちは未だいい。もし動けなくなったら頼るところは国であり行政しかないのである。
その福祉の根幹とも言える国の社会保障制度が「弱きを助ける」様でなければならない。弱肉強食、弱い者は自然に淘汰されるとする発想は、たとえ自然の摂理とは言え、人間の発想に在らず。
弱い立場の人達を、皆で社会全体で助け合うと言った相互扶助の精神がなければ、決して理想の社会となる筈が無い。選挙も近い。景気回復、経済政策も重要だが、そう言う意味で、消費税を上げるのであれば吝かでないと思うのだが。・・・



ストレス解消法
■公的資金の行方(平成21年4月9日)
オバマ大統領も不満を露にした米大手保険会社AIGの高額ボーナス支給の問題で、日本円にすると約160億円もの賞与が支払われた。その資金の大半は巨額の税金である。最終的にはその殆んどに税金が課せられたようだが、その考え方が理解できない。
一方、日本ではどうなのだろうか。最近の報道では国内3大メガバンクの役員報酬が、ここ数年軒並み上昇しているとの事だ。
三菱UFJフィナンシャル・グループ役員の平均報酬は2008年3月期で約5.600万円だそうである。1999年以降の公的資金返済は終わったとは言え、問題は法人税を納めていないにもかかわらずである。(過去の不良債権処理に伴なう赤字計上で累積欠損を抱いている。税務上、欠損金は7年に渡って利益を相殺できる為)
労働白書によると「役員報酬はここ数年、増加している。一方サラリーマンの賃金は2002年から2007年の、いわゆる戦後最大の景気拡大の中でも下がっているのが現状、金融機関について言えば、ゼロ金利のお陰で預金者は踏んだり蹴ったりだ。金融機関の役員報酬が増えるということは、一般の従業員や世間から見て、はたしてどうなのだろうか。
また、役員報酬が上昇するのと並行に、大手銀行の中で中小企業向け貸し出しの減少が、リーマンショック以来顕著に現れている。いわゆる貸し渋りである。実に減少額は2兆3000億円にものぼると言われている。
政府は景気対策にやっきになっている中、銀行による貸し渋りが増えれば増えるほど、中小企業の資金繰りが悪化する。その結果、破綻や倒産が相次ぐ事になる。
企業が倒産すればその従業員が職を失う事になる。職を失えば当然ながら消費の低迷を招く事にもなる。
先ごろ、2兆年もの定額給付金が支給された。前での貸し渋りによる減少額とほぼ同額である。一人一人に12.000円の給付金をばら撒くよりも、その税金を企業に貸し出した方が、実質的な意味で、より経済対策・景気対策になったのではないだろうか。
昨日の帝国データバンクの発表によると、約13.200社もの中小企業が倒産したとの事である。実に13兆円もの不良債権を出した事になる。政府は第2・第3の追加経済対策を盛り込んでいるのだが、目先や小手先だけの対策ではなく、根本的な政策に、我々の貴重な血税を使ってもらいたいと希うものである。・・・



公的資金を投入した大手銀行の給与水準
■プロとアマ(平成21年3月21日)
ワールド・ベースボール・クラッシック(WBC)が大詰めを迎えている。我が日本もアジア予選を勝ち抜いて、アメリカのカリフォルニアに戦いの場を移し、宿敵韓国を下して、準決勝に駒を進める事となった。
ベスト4に勝ち進んだチームは、日本を始めベネズエラ、ご当地アメリカ合衆国、そして宿敵韓国の4強が世界一の座を勝ち取る為に熾烈な戦いに挑む。
前回行われた第1回目の覇者は我が国日本。果たして今年はどうなる事か、大いに期待したいところだ。
当初優勝候補と目されていた164kmの剛速球投手アルベルティン・チャップマン率いるキューバが、予選で敗退してしまったのだが、日本を始め殆どのチームはプロ選手を揃えているのに対して、キューバだけは全員アマチュア(ノンプロ)である。
アマチュア軍団にしては、もの凄く強いチームだが、プロとアマでは背負っているものも違う。プロが勝って当然と思えるのだが、そんな中でアマチュアのチームが勝つとなると値千金である。
今回のWBC以外の世界的規模の大会に、オリンピックがある。嘗てはアマチュアの為の大会として、プロ選手の参加を認めなかった訳だが、最近のオリンピックを見ると、これもまたプロ選手がメインになってきている。
勝負は時の運と言いながらも、勝って当然と言えば当然である。そんな中、アマチュアが活躍する場が減ってきている事に疑問を感じざるを得ない。
スポーツの楽しみ方を大きく分けると2通りある。その1つ目は、楽しみを優先した遊び感覚のスポーツ感と、2つ目は競技性を追及するスポーツ感がある。プロは後者の延長にあるのだが、技量や体力はプロ選手が圧倒的に上である。
勿論、競技性を求めているアマチュア選手にもプロを凌ぐ程の選手は沢山いる筈、キューバの選手はその良い例だが、そのアマチュアの活躍する場が減ってきているのが問題である。
「それじゃプロになればいいじゃないか」と言われそうだが、現実はそう簡単ではない。前での、遊び感覚でスポーツを楽しんでいる方達は、それなりの価値観を持って楽しめば良しとして、競技志向の選手が活躍する場、特に世界的規模の大会があってもいいんじゃないだろうか。
本来ならオリンピックはそんな場ではなかったのではないだろうか。再び、アマチュアの為のアマチュアの祭典であるオリンピックを、是非復活してもらいたいものである。・・・



JOC日本オリンピック委員会
■不法滞在者の法改正(平成21年3月1日)
不法滞在で強制退去処分を受けているカルデロン一家が、在留特別許可を求めている。森英介法務大臣は「一家3人で在留が認められないことは既に告知している」「ただし、長女の、のりこちゃんが適切な監護養育の元で学業を続けたい」と言うのであれば、のりこちゃんのみ在留特別許可を出す、と会見で発言していた。
カルデロン一家の両親は、15年以上も前に他人名義のパスポートで入国したそうだ。勿論その事じたいは由々しき問題である。日本の国内法を遵守しなければならい。日本は島国で、鎖国の政策も長く、現代はグローバル社会と言いながらも、異色人種を受け入れ難い人種でもある。「よそ者はあまり来て欲しくない」と言う考えの元で作られた法律が出入国管理及び難民認定法である。 
第二章 第一節 第 三条には 次の各号のいずれかに該当する外国人は、本邦に入つてはならない。
 一、有効な旅券を所持しない者(有効な乗員手帳を所持する乗員を除く。)
 二、入国審査官から上陸許可の証印若しくは第九条第四項の規定による記録又は上陸の許可(以下「上陸の許可等」という。)を受けないで本邦に上陸する目的を有する者。
また、第五条の三には 貧困者、放浪者等で生活上国又は地方公共団体の負担となるおそれのある者の入国を認めない、としている。
この法律は昭和26年に制定されたもので、第2次世界対戦が終結して間もなく制定されたものであって、異国に対して依然敵意を抱いている最中に作られた法律と言えるのではないだろうか。
「人類皆兄弟」これは森内閣時代に、国務大臣を歴任した人物で、最近失言問題でちょっと話題になっている方の父上が、本のタイトルに使ったものだが、私もこれはいい言葉(私は○翼ではないが)だと思っている。そう言う意味からも、外国人の受け入れ態勢をそろそろ改めても良いのではないだろうか。それが駄目でも、今回のカルデロン家の様に、不法滞在とは言え、真面目に働いて子供を育て、ましてやその子供も日本語しか話せない歴とした日本人である。
そんな子供を救う為にも、例えば、不法滞在でも5年間日本で生計を立て、刑事罰に1度も処せられていない外国人に限り永住権を与えるだとか、そろそろ法律の見直しをしても良いのではないだろうか。不法入国を取り締まる入国管理局は国家機関であって、法律の遵守に勤めるのは当たり前である。この様な問題が起きると真っ先に矢面手に立たされるのだが、彼らは彼らで二律背反、痛し痒しである。個人の意見はそれぞれだろうが、行政機関である以上、否応なしに法律に従わねばならいのが現状だ。
この問題は立法機関である議員が、民意を反映し、人道的な見地から立ち上がらなければ、何時までたっても解決されないのであって、同じ事の繰り返しである。法律はその時々の社会の情勢を踏まえた上で、変えて行かなければならないのではないだろうか。その時代時代によって価値観も違ってくるだろうし、何よりも人道的な立場を考慮すべきではないだろうか。
在留特別許可は法務大臣に与えられた権利であったとしても、決定を下すには色んな問題が絡んでくるだろう。そう言う観点からも法改正は必要であると言えるのではないだろうか。
人道的な観点から、外務省経由で国連人権理事会に所属する「移民の人権特別報告者」「教育の権利特別報告者」の連名で、日本政府に対してカルデロン一家の問題に関する経緯の確認や意見書が、法務省に寄せられているという。世界からも注目されているのである。法務大臣の裁量が問われている案件でもある。ネットを手繰ると、色んな反対意見もあるようだが、人道的な見地から、心のある裁定を下して頂く事を森法務大臣に期待したい。・・・


入国手続き&外国人法務サポートデスク   法務省入国管理局
■逆転の発想(平成21年2月16日)
当センターメンバーの1人に居酒屋“煮売酒屋おのでら”の店主がいる。
その彼と岩手県の未来に付いて色々議論を交わしていたのだが、その中の一つに、岩手県は食べ物も旨いし、自然も豊かで気候だって良いし住み易い土地柄だ。いっその事ご老人を受け入れる施設をもっと増やして老人天国ならぬオードレンパラダイス(オードレンとはオランダ語で老人と言う意味)を作ったらいんじゃないか、と言う意見が出てきた。限界集落を逆手に取った発想だが、満更捨てたもんじゃないなと私は思った。
永田町では、誰かさんの発案で国会議員に定年制を設け、生きる上で必要な知恵を持ち合わせている長老達を排除しようとする動きすらある。もっとも議員の定数を減らす事には賛成だが、誰を選ぶかは有権者の判断であって、やみくもに定年制を設けるのは如何なものかと思っている。
何故なら、人生経験の豊富な先輩方の意見をもっと取り入れるべき場面が往々にしてあるのではないだろうか。古臭い考えなどは時代錯誤、などと言う人達もいるのだが、結果的にはその間違いに気付く羽目になったりもする。歴史は繰り返されるもの。科学の進歩や技術革新は永遠に続き止まる事はない。
また、その時代時代の価値観は変わるだろう。しかしながら、その背景にある、人としての営み、人としての在り方や心情は不変であって決して変わる事はない。その真髄とも言うべき人としての在り方は、長年の歳月を経た経験者でないとなかなか語れるものではない。その経験者を蔑ろにする様な考えでは、実に困ったものである。
そんな事からも今般の未曾有の経済危機に直面し、行過ぎた市場原理の真髄を垣間見た思いがする。・・・
ちょっと横道にそれてしまったが、老人ホーム、老人福祉施設や老人保健施設を作って、全国に呼びかければ集まってくるのではないだろうか。集まる事によって経済効果も高まる筈である。
日本全国から生きる知恵を持った多くのご老人が集まれば、またそこから色んな良い知恵も生まれるだろうし、また施設の建設に当たっては、低迷している建設業界に明かりを灯し、また、雇用の拡大にも繋がってくる。こんなに良い事はないと思うのだが。
限界集落だ、姥捨て山だなどと言っている連中も、遅かれ早かれ歳をとるのである。老人を手厚く扱い、老人の住み良い社会にする事こそ、将来の不安を取り除き、住み良い社会となるのではないだろうか。・・・

そんな思いの下、岩手県知事に提案してみる事にした。内容は以下の通り


知事に宛てた提案書 県からの返信メール(実現や如何に!)



社会福祉協議会  岩手県
■慈愛の心(平成21年2月3日)
世の中には、本当に凄い人がいるものだ。不可能と言われている不毛の地を、緑の楽園に変え、貧しい農民の飢えを救い、諦めかけ ていた人達に希望を持たせ、感動を与えた人物がいる。近藤亨(87歳)さん、その人である。
近藤さんは出身地である新潟県の新潟大学助教授を経、県の園芸試験場の研究員となって、国際協力事業団の果樹栽培専門家としてネパールで営農指導を行っていた。国際協力事業団を退官後、70歳にして、再びネパールに訪れ「現地の人達を何とかして貧しい暮らしを一変してやりたい」と、私財を投げ打って、ネパールのムスタンに移り住んだのである。
営農指導者としての技術を活かし、不毛の大地を緑の楽園に変えたのだが 、その苦労も並大抵のものではなかった様だ。稲作に至っては、ヒマラヤの麓、標高3.000m、冬はマイナス40度にもなる極寒の地 、何度も何度も失敗したそうだ。それでも、4年目にして漸く奇跡を起こしたのである。
稲作以外にもハウス栽培による野菜作り、 植林事業、ヒマラヤの雪解け水を利用したニジマスや鯉の養殖や、ヤギの飼育、リンゴ栽培等、その功績には目を見張るばかりだが 、それだけではない。託児所や学校の建設、学校の建設では今までに17校も建設したそうである。そればかりか、病院の建設にも携わっている。
それらの功績を讃えられ、ネパール国王から勲2等の勲章も授かっている。本当に凄い偉業を成し遂げた人なのだが 、偉業を自慢する事も無く、実に謙虚な方で、現地の人達からは「神様の様な人」「優しいお爺ちゃん」と慕われている。
私欲にとらわれることなく「現地の貧しい農家の人達が、豊かになることを一目見ないうちは私は死ねない」と、話している姿に深く感動を受け、私も涙が止まらなかった。
「願いは強ければ強い程叶うもの」と、先日の放送「世界を変える100人の日本人」という番組を見て改めて実感させられた。
不可能を可能にし、貧しい人達を救い、夢や希望を与える。これぞ、正しく「真の慈愛の心」以外の何ものでもない。
秘境の地で、ロバに跨り瓦礫の道を進む姿は87歳とはとても思えない程、かくしゃくとしている。仏教の教えに「因果の法則」というのがある。その意味は「善い考え、善い行い」をすれば、善い事が返ってくる。と言う教えだが、もう時期90歳にもなる近藤さんの、健康でしかも、かくしゃくとして生き生きとし、満ち足りた表情を見ていると、その現れではないかと思えて仕方が無い。
現地の人々、いや世界の人々が心の底から望む様に、何時までも元気な姿を見せてもらいたい。あの長髭を風に靡かせ、 颯爽とロバに跨る姿を・・・。


国際協力NGOセンター(JANIC)  ムスタン物語
■ダム理論の検証(平成21年1月27日)
日銀が金利の指標として参考にするのが、このダム理論である。ではそのダム理論とはどんな理論なのか
降った雨が直接ダムに溜まったり、降った雨が地下水となりダムに流れ込むとダムの水位が上がる。その水位が上がりダムが一杯になると放流して溜まった水を下流に流す事になる。ダムを大企業に例え、ダムに注ぎ込まれる水が大企業の利益に例える。
つまり大企業が利益を上げ、内部留保を増せば増すほど、社員にボーナスや給料の上乗せをして利益を還元すると言う理論だ。この理論に基づいて金利の引き上げをやったり引き下げをやるのである。
この理論はおおかたのエコノミストの支持を得ている様だ。ただ、その目論見が外れる事もある。
例えば、最近の例でみると2007年の2月に金利を0.25%から0.5%に引き上げた。その後サブプライム問題に端を発し、リーマンの破綻、そして100年に1度と言われる経済不況に見舞われる事となり、金利の引き上げは失敗だったと言わざるを得ない。
正しく経済は生き物、生きていれば何時かは病気や怪我もするが、何時起こるのかは誰にも予測不可能である。経済も同じことで、だからこそ政府の迅速な対応が必要となる。
また、ダム理論の中で、中心となるダム、つまり大企業側が溜まった水を何時放流するかは会社側の思惑によって決まる。今回の金融危機の下、非正規雇用者の切捨てが問題となっているなか、某超大手自動車メーカーでは内部留保が14兆円もありながら、膨れ上がった水位を下流に流そうとしなかった事が取り沙汰されているが、その要因としては次の3点が挙げられるのではないだろうか。
1、投資家への配当を優先する投資家至上主義 
2、国際競争が一段と激化しているなか、労働分配率を上げると競争力の低下が懸念される企業論理 
また、第3として大きなダムの下には第2第3の砂防ダムが存在する。と言うのは大企業から溢れ出た水を下請けの中小企業や、その孫請けの小企業や子会社が第2第3の受け皿となって、各々内部留保を確保しようとする為に末端の従業員に回ってこない。その為、結局は消費の拡大に結びつかない、というのが現状ではないだろうか。
そもそもこの理論(ダム経営理論)は経営の神様と言われた松下幸之助氏が昭和40年の大不況の折り、発表した経営方針を参考にしたものと思われる。
経営の観点からみて内部留保を多く確保する事によって、外部的な諸情勢の変化にさほど翻弄される事無く経営の安定が見込める。経営する側にとっては実に有難い理論といえる。
確かに以前の大企業は企業の持つ社会的立場(社会貢献)を充分に理解し、社会に対する貢献度も大きかったように思える。しかしながら、昨今の大企業はどうだろうか、前述の3項目の影響が大きいのか、社会に対する貢献度や相互扶助と言った助け合いの精神が私にはどうしても観えてこない。
南アフリカのアパルトヘイト解体後の黒人社会の格差同様、日本でも益々格差が激しくなってきているのが現状のようだ。USスチールの創業者アンドリュー・カーネギーが、著書「富の福音」の中で「裕福な人はその富を浪費するよりも、社会がより豊かになるために使うべきだ」と述べている。
第2第3のカーネギーが現れる事を期待したいのだが。・・・



日本銀行  アンドリュー・カーネギー
■真のサービスとは(平成21年1月5日)
新年を迎え、このコーナーで何を題材にしようか迷ったのだが、このコーナーは「世に問う 言わずにはいられない」の題名なので、ご年始代わりには相応しく無いかも知れないが、年末に非常に腹が立った事があったのでそれを題材にする事にした。  
日本においてサービスという言葉を最初に使ったのは、日本自動車会社の社長石沢愛三である。大正末期に米国を視察した際、米国の自動車販売に「サービス・ステーション」が大きな成果を上げていることを知り日本でもサービス・ステーションを広めようとする。帰国後、取引先関係各社にはがきをだす。文面は「今般、当社は完全なるサービス・ステーションに依り顧客本位の御便宜を計ることに相成り候」。これに対し、「サービス・ステーションという便利なものが到着した由、至急届けてもらいたい」との回答が多数返ってくる。これに困った石沢はサービス・ステーションの和訳を試みるが、辞書には、サービスとは奉仕的なるものとの記述のみであり、外国人にきいても要領を得なかったので、使うのをやめたという。 詳しくはWikipedia>> 
商売をする上で基本になるのがこの精神と言える。「値段を下げる・ポイントを付けて後で商品と交換する・購入して頂いた代わりに何か景品を付ける」と言った事が一般的に言うサービスだろう。行政サービスの様に、市民に情報を提供したり、色んな意味で指導する事もサービスの一環だろう。何も民間の商売だけに限ったものではない。
最近(年末)こんな事があった。近所のガソリンスタンドでの出来事だった。事務所開設以来10数年来このガソリンスタンドに足繁く通って利用させて貰っていたのだが、最近のスタンドは、自分で入れるセルフ方式が一般的になってきている。確かにこの方式の方が人件費を抑える事が出来るので料金にも反映される。自分で入れる煩わしさはあるのだが、安い事は非常に有難い。助かっているのも事実であるのだが、人と人との繋がりが希薄になり、機械的な冷たさも感じられる。これはこれで時代の流れ、と捉えれば別に問題は無い。
このスタンドでは1ヶ月以内に5.000円以上ガソリンを給油すると、500円分の洗車がサービスとして利用できる。8.000円以上給油するとワックス洗車が利用でき、利用者としては非常に有難いサービスである。私も、ほとんど毎月の様にこのサービスを利用させて頂いている。そんな中、先月末の出来事だった。
正月前に車を綺麗にしようと、月末の27日に貯まったポイントで洗車しようと店員に話したところ、今月はもう終わったというのである。年末年始は非常に込み合う為、年末は早めに終了しているとの事だった。「ちゃんと張り紙もしていますよ」との事だったが、そんな所まで注意深く見た覚が無い。ましてや、年末といえば12月、寒風の吹き荒れる中、自分でガソリンを入れていると周りを見る余裕すらない。早く終わらせたい一心で、そんな張り紙など見る余裕など到底無いのである。
「そうだったのか、2日程過ぎたけれども何とか頼むよ」と言ってみたのだがガンとして聞き入れ様としなかったのである。会社の方針に忠実であるのは大変結構な事だが、10数年間、毎月の様に利用しているのに「何だ」と、思わず頭に血が上って思わず口を荒立ててしまったのだが、若い店員の口調も口調である。「大変申し訳ありませんが、年末は非常に込み合いますので若干早めに終了させて頂いております。大変申し訳ありませんでした」とでも、丁寧に言われるんだったら未だしも、張り紙を見ない方が悪い、といった傲慢な態度では、些か問題があるのではないだろうか。私は今後一切このスタンドを利用しない事に決めた。
別に洗車料金など所詮大した額ではない。嫌そうな顔をして渋々と引き受けて貰うよりも、丁重に断られた方が遥かに後味が良いのであって、納得もする。真のサービスとは、ただ安ければ良いと言うものでもないし、景品を付ければ良いと言うものでもない。
真のサービスというものは、誠心誠意相手に対し接する事、決して上手に話す事など問題ではない。如何に相手を気持ちよく納得させるかではないだろうか。・・・

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■裁判員制度に異議申す(平成20年12月27日)
裁判員の候補者3人が実名を公表し、裁判員制度に意義申立を行った。裁判員制度に対する意見は現在でも賛否両論だが、来年5月からは否応なしに行われる。
この制度が決定した背景には、裁判にかかる期間の短縮と集中審理、条文の平がな口語化、これらの大きな「司法改革」という枠組みの一環として、法務省や日弁連が推進してきたもの。
また、裁判員制度の導入の理由としてあげられるのは
1.裁判をもっと身近に
2.もっと分かりやすく
3.裁判への民意の反映
4.裁判や司法への信頼性の向上
以上の4点があげられる。私も大学では法律を専攻した者として、多少の興味を覚えたのも事実だが、実名を公表して反対している方達も言っておられた様に、もし、「冤罪」に関わる判決に携わったとしたならば、と考えると、とても気が進むものではないし、大学時代の授業の中で、今でも一番印象深かった判例が、やはりこの冤罪事件だった松山事件や濡れ衣を着せられ実刑判決を受けた梅田事件など、被告人の心中を察すると矢も立ても居られない衝動に駆られた事を今でも鮮明に憶えている。
もし仮に、ある日突然、警察が尋ねてきて「先月の何日の何時頃、貴方はその時間何処で何をしてましたか」と突然尋ねられたとしたら、どうだろうか、普通そんな事までいちいち憶えているだろうか。
「ちょっと署まで出頭して下さい」と言われれば任意同行とは言え、身の潔白をはらす為に出頭するだろうし、もし仮に取り調べを受け、アリバイがなかったとする。取調官は容疑を認めさせる為に自白を促してくるだろう。もっとも身に覚が無いので否認するだろう。
ところが否認すればするほど拘束も厳しくなり、拘束されればされる程、意志の弱い人は(実際は強い人でも?)例え、無罪であったとしても、心理的に追い込まれ認めざるを得なくなってくるのではないだろうか。
たまたま、完全犯罪の起こったその時、たまたま、その前を通りかかったとしたならば、誰だってこの様な立場に立たされる可能性が無いとは言えないのではないだろうか。または濡れ衣を着せられる事だってあるかもしれない。
自分ではまったく知るよしもない所で、自分の実刑に対するシナリオが出来上がっているとしたならば、と考えただけでも本当に恐ろしくなる。これが現実のものになっているのが「冤罪事件」なのである。
もっとも、そんなに頻繁にある事ではないだろうが、こんな事を考えると本当に恐ろしくなってくるのである。
そんな無実の人間を有罪に導く裁判に立ち会うと言うことは、立ち会った裁判員も一生悔いを残すだろう。それを職業とする裁判官なら未だしも、まったくの部外者であり、素人が果たしてそれで良いのか、と疑問に思えて仕方が無い。
また、裁判員の選考にも問題があるのではないだろうか、選考の方法は、各地方裁判所ごとに、管内の市町村の選挙管理委員会が「くじ」で選んで作成した名簿に基づいて、翌年の裁判員候補者名簿を作成し、事件ごとに裁判員候補者名簿の中から、「くじ」で裁判員候補者が選ばれる。ランダムに選考される訳だが、選ばれた人達が常識のある、まともな人達だったら良いのだろうが、中には「根っからの悪」が選ばれたとしたらどうだろうか。本職の裁判官がいるから大丈夫だと言われそうだが、もしそうだったとしたらそもそも素人を裁判員にする必要がどこにあるのだろうか。
被告人の人生を左右する判決に素人が関わるべきでないと、私は思うのだが。・・・

法務省  裁判所  裁判員の選ばれ方
世界経済もまだまだ氷点下の日が続きそうだ!!
■豊かさの実感!!(平成20年12月16日)
元ナスダック・ストック・マーケットの会長だったバーナード・メードフ氏は、約4兆5千億円の前代未聞の詐欺行為で巷をにぎわしている。運用目的で投資家から集めた資金を運用で損失を出した分の穴埋めに使っていたというのだ。その被害者の中に野村ホールディングスもいたようだが、その被害額が約275億円相当あったそうだ。
米国史上類を見ない詐欺事件として報じられたが、こんな事を言ったら叱られそうであるが、あの世界自体、詐欺みたいなもんだと思っている。行過ぎた市場経済の縮図ではないだろうか。
お金がお金を生み、富める者が益々富む。資金の絶対量は決まっているから、その分、窮する者が益々窮していく、益々2極化が進んでいく。それじゃ共産主義が良いかと言えばそうでもない。人間誰しも富める者になりたいと願っている。金持ちになりたいと願っている。
ただ、行き過ぎが問題なのである。節度のない「ただ儲かりゃそれでいい」の延長線上に今回のサブプライムの問題があり、リーマンの破綻があったのではないだろうか。「経国済民」民を救う筈である経済の舵取りが、誤った結果が表われたのではないだろうか。
その舵取りが誤りさえしなければ市場経済はもっと素晴らしいものになる筈だ。統計的にみた「豊かな国」の基準にはGDP(国内総生産)が使われることが多いが、「国民一人あたりの豊かさGDP」で比較すると、日本は23位(2007年)である。ではどこが豊かなのかといえば、欧州の小国が上位を独占している。  
 1位:ルクセンブルグ(46万人)  ・・・99,881ドル
 2位:ノルウェー(468万人)     ・・・81,108ドル
 3位:カタール(77万人)      ・・・81,045ドル
 4位:アイスランド(30万人)    ・・・58,396ドル
 5位:アイルランド(420万人)   ・・・51,306ドル
  ・
  ・
 23位:日本(1億2,800万人)   ・・・34,254ドル(約367万円)   社会実情データ図録参照

国民総生産GDPがアメリカに次いで第2位なのだが、国民一人あたりの豊かさGDPに関して言えばこんなに順位が下がる。
この理由として上げられるのは、1990年から1位をキープしているルクセンブルグは国の経済が金融ビジネスで成り立っているためである。同国はタックス・ヘイブン(租税回避地)としても知られていて、世界から投資会社や銀行が集まっているために、少数の国民が十分に潤うだけの収入が得られる、という事の様だ。
小さな国が潤うためには、広大な土地や人(労働力)を必要としない金融ビジネスを手掛けることが最も手っ取り早い。という事のようだが、日本の場合はと言うと、汗を流さずして株や金利で稼ぐ事は「不健全だ」とするモノ作り至上主義が根強く残っている。
私が住んでいる田舎では、早朝のウォーキングやジョギングを後ろめたい思いでやらなければならない。何故ならば「そんな事をしているよりも草刈でもやれよ」と言われそうだからである。もっとも面と向かって言われる訳ではないが、そんな気がするのである。
その様に額に汗して働く事を「良し」とする風潮が未だに色濃く残っているのが、日本の現状なのである。「働かざるもの食うべからず」の精神を「善」とする気風が残っているのである。勿論、私も個人的にはこの考えだが、それが良いか悪いかは別として、節度を持った市場経済の舵取りがしっかり出来るリーダーが居さえすれば「豊かさを実感できる国・社会」になると思うのだが。・・・

バーナード・メードフ  総務省統計局
■国の財政支援(平成20年12月5日)
アメリカ3大自動車メーカー(ビック3)のゼネラルモータース、フォード、クライスラーはサブプライムローンの焦げ付きから端を発し、リーマンブラザーズの破綻による100年に1度あるかないかの金融危機に見舞われ、大幅な減収減益を余儀なくされた。その為、国に財政支援を呼びかけている。
その条件として各CEOの給料を年収1ドルにする意向を示している。これは元クライスラー会長のアイアコッカ氏が嘗て表明した事をそのまま真似したと思われるが、国民の支持を得られるか否かは甚だ疑問と言える。「CEO所有の自家用機を売却しろよ」などと揶揄されていたが。
嘗て、日本でもバブル崩壊の煽りで大手銀行が国の財政支援を受けた実績があった。当時、株価暴落など世界的経済不安が拡大する中、都市銀行だった北海道拓殖銀行や大手証券会社の山一證券などの金融機関の破綻が相次いだ。
これに対して当時の橋本首相は預金者保護を掲げ「あらゆる措置を講じる」と不良債権処理の為に、莫大な公的資金を投入する事となった。それが、今から11年ほど前の1997年の丁度今頃ではなかっただろうか。その財政支援、公的資金の導入によって金融機関の破綻は免れ、息を吹き返した経緯がある。つい最近では、石原氏の肝いりで創業した損銀行東京あ、いやしっけい新銀行東京が東京都の財政支援を受けた事は記憶に新しい。
何れにせよ、その資金は国民、都民の血税である。財政支援を受け、息を吹き返した後の処理はどうなっているのだろうか。前でのアメリカ3大自動車メーカーでは、国(合衆国)がその株を取得する意向の様だが、日本ではどの様になっていたのだろうか。
借りたものは返すのが鉄則、借金は借金、当然何らかの形で借金を返済しているのだろうが、あまりにも不透明な感じがしてならない。公的資金導入後、息を吹き返し莫大な利益を計上していた。まさか私服を肥し、職員の待遇や役員の報酬に消えていただけであれば言語道断だ。勿論そんな事は無いと思うが、何れにしろその辺の状況を克明に開示すべきではないだろうか。報告する義務がある筈だ、我々国民が納得のいく様な!
自動車メーカーしかり、大手銀行しかり、万が一破綻した場合、社会に対する影響は大きい。アメリカの3大自動車メーカーでは300万人が「路頭に迷うだろう」と述べていたが、それもまったくの嘘ではないだろう。
そんな事も考慮すると「財政支援も致し方なし」ということかもしれない。問題は景気が回復し利益を挙げた際に、ちゃんと返せば問題じゃないということではないだろうか。
今後、自動車メーカー、大手銀行のみならず益々人員削減やリストラが増えるとなると、解雇権の乱用によって労働争議も当然増える事になるだろう。生活する権利さえ奪われかねない。そんな状況が見えてくるような気がしてならない。我々一般個人も国の財政をあてにしたくもなるのだが、勿論動きたくとも動けない人達もいる。そんな人達には、福祉の精神を持って支援することは当然だが、まだまだ元気で動けるうちは自己防衛を考えていかなければならないのではないだろうか。・・・

アメリカ3大自動車メーカー
■自然と共に!(平成20年11月24日)
私の住んでいる一関市でも、白鳥への餌付けを自粛するよう市民に呼びかけているようだ。鳥インフルエンザの拡大を防止する目的のようだ。
今年4月に、青森県の十和田湖畔で鳥インフルエンザに感染した白鳥が見付かった、と報じられたのも記憶に新しい。餌付けの自粛要請は北東北各地や宮城県でも、各市町村に対して自粛啓発を求めている。
白鳥の飛来は冬の風物詩として市民に親しまれて来た。ちょっと残念に思うのだが「致し方なし」と言うところだろう。もし、新種の鳥インフルエンザが蔓延したならば、日本の全人口の0.5%(約60万人)がその犠牲者になるだろうと、専門家が見解を出している。
もし、万が一蔓延でもしようものなら大変な事態になるだろう。日本中がパニック状態に陥るに違いない。ダスティンホフマン主演のアウトブレイクの場面が思い浮かぶ。新種のウイルスに効果を発揮するものがないものだろうか。勿論、研究機関では当然実験しているんだろう。光触媒や白金触媒もその1つと聞いている。
医学が進歩しているとは言え、未知のウィルスや病原体が生態系の変化によって表われてくるのだろう。地球温暖化もその大きな要因の1つではないだろうか。その原因を作り出しているのも、我々人間の傲慢で身勝手な欲望の結果に他ならない。
便利さを追求するあまり、その副産物として自然に対し「害」を撒き散らし、美食を求め過ぎるあまり、資源の枯渇を産み、収集の欲求を満たそうと輸入禁止の生き物を手に入れ、自然の生態系を乱している。これも全て、我々人間の身勝手な欲望がそうさせているのではないだろうか。
渡り鳥に「餌付け」をする事が決して傲慢だとは思わないが、「自然の姿」とも思えない。人間が興味本意や親切心で餌を与えなければ、鳥達は自ずと餌のある場所を目指して旅を続けるだろう。それが自然の営みではないだろうか。それが本来の姿なのではないだろうか。親切心で餌を与えるのではなく、暖かく見守ってやる事が本来のあり方、本当の優しさではないだろうか。
「自然と共に生きる」事を、そろそろ真剣に見直さなければいけない時期にきているのではないだろうか。・・・

エアープロットで快適生活!    
■非常識な輩(平成20年10月24日)
私は若い頃から渓流釣に魅了され、わざわざ大学も渓流釣の本場である北海道に決めた経緯がある。当時、釣の先輩からよく聞かされていた話に「ゴミは絶対に持ち帰ってこいよ」であった。
自然環境に配慮し、釣り人の最低限のマナーだと今でも思っている。歳月が経って自然に帰るものならばまだしも、半永久的に残るような缶やプラスチック製の物、ビニール製の物などは絶対に持ち帰らなければならない。ただ、残念な事に、最近ではこの非常識な行為を目にする機会が増えてきている。非常に残念な事だ。
川原で家族水入らずで「芋のこ会」も良いのだが、後始末をちゃんとしないで帰る連中もいる。子供が知らずに捨てたのであれば、親が注意をするのが当然のこと、その親自身が平気で捨てるバカもいる。そんなバカな親を見ていれば、子供もバカタレになるのは当然だ。バカタレの連鎖である。
以前足繁く通っていたゴルフ練習場でもそんな光景を良く見かけた事がある。行った経験のある人ならよくご存知だと思うが、打席練習の直ぐ後ろのテーブルに空き缶やゴミをそのままにして帰る常識のない人達が実に多い。「金払ってんだからいいじゃねーか」と思っているのだろうが、単なる傲慢なだけである。屑籠がすぐ近くにあるじゃないか、入れて帰れよ。勿論、ゴルフ練習場だけじゃない。電車、喫茶店、レストラン、コンビニ等何処であろうがゴミを屑篭に入れるくらいのことは最低限のマナーではないだろうか。
先日、民区の秋行事の1つである一斉清掃があった。毎年目に付いて激怒するのだが、空き缶のポイ捨てや、挙句の果てにコンビニ弁当の残骸まで走行中にポイ捨てしている。何とも情けない、まったく許せない行為である。こんなふしだらな行為に対する罰則規定は無いのだろうか、調べてみることにした。
日本における罰則規定は平成12年10月1日に改正になった「廃棄物の処理及び清掃に関する法律」の16条に「何人もみだりに廃棄物を捨ててはならない」とあり、その罰則は「5年以下の懲役もしくは1千万円以下(法人には1億円まで加重ができる)の罰金」とある。
また、監視体制も人工衛星を使ったり、ここ一関市でも先日の地方新聞に載っていたが、上空から廃棄物の不法投棄を監視する、県のスカイパトロールがヘリから写真やビデオ撮影をして、実際に調査もしているようだ。もっとも、その対象になっているのが大型の不燃ごみだろうが、空き缶とて同じ不法投棄には違いない。
また、地方自治体の条例では、どの様な罰則規定が設けられているのだろうか。ここ一関では特に罰則規定を設けていないようだが、他の地方自治体では罰則規定を設けているようだ。通常、空き缶のポイ捨て行為は、軽犯罪法でも処罰の対象にされている。罰則は「拘留又は科料(1万円以下)」となっているものの、軽犯罪法のみならず、前出の「廃棄物の処理及び清掃に関する法律」が適用され、「5年以下の懲役もしくは1千万円以下(法人には1億円まで加重ができる)の罰金」が科せられる可能性が非常に高い。
名峰富士山もこのポイ捨てゴミに悩まされているのが有名な話だが、世界遺産の登録へはこの問題を解決しなければ前に進めないだろう。
一方、以前フジテレビ系「奇跡体験!!アンビリバボー」にも取り上げられていたのだが、岩手県紫波町にある蟠龍寺のご住職とその愛犬の物語だが、その主人公の名は(もも子)、ご住職と散歩の途中に、ご住職がポイ捨てされた空き缶やゴミを拾っている姿を見ているうちに、しだいに(もも子)もポイ捨てゴミを口にくわえる様になっ たんだそうだ。何とも微笑ましい話である。
こんな微笑ましいエピソードでちょっとは救われるのだが、現実に戻れば何とも情けない思いである。本来であれば罰則規定云々よりも各人のモラルの問題であって、その各人が常識を持って行動するのであるならば、自ずと人が人を罰するなどと嘆かわしい事をしないで済むものを。・・・

もも子が起こした奇跡の物語    
■戦後最大の金融危機(平成20年10月12日)
アメリカ発、サブプライムローン問題に端を発し、米リーマン・ブラザースの破綻から一気に株価は下落し、円高ドル安が進む中、まさに1929年の世界大恐慌以来の経済危機と言っても過言ではない金融危機に直面している。
日本でも大和生命が破綻した。2001年の東京生命保険の破綻以来7年ぶりの生保会社の破綻となった。
大和生命は、ヘッジファンドや複雑な金融商品への投資が運用資産の30%にも達するなど、高リスク資産での運用が多かったため、今回の株価暴落などによる金融市場の混乱によって、運用成績が大幅に悪化したための結果となったようだ。
日経平均株価も7日連続の下落となり、この1週間で27%もの暴落となった。リーマンの破綻によって、世界同時株安の連鎖は米金融安定化法案の可決や、米欧の協調利下げなどにも係わらず、収束の気配が見えて来ない。
これも、付和雷同の群集心理からくる「売り急ぎ」によるものであって、投資家の冷静な判断を望むところだ。
これに対して、麻生太郎総理は日経平均株価の暴落に対処するため、企業の自社株取得制限を年内に限って撤廃する意向を、金融庁に指示したことを明らかにした。 

※自社株取得制限・・「自社株買い」のことを指す。株式会社が、以前に発行した自社の株式をおカネを払って買い戻すことをいう。

いったい、この行き過ぎた市場経済はどう変貌していくのだろうか、先の見えない泥沼に一歩踏み込んだように思われてならない。
日本での金融危機はさほどではない。とする見方も一方ではあるようだ。しかし、何をどう見てもそうとは思えない。ここ1週間の株価の暴落をみれば納得もいくところだ。
民主党は、この金融危機対策よりも「総選挙を優先させるべき」との発言もあったようだが、世界的な危機感を植えつけられている国民にとって、選挙よりも経済対策、金融対策を優先してもらいたいと願っている最中に、民主党のこのような発言は暴言と、とられてもおかしくはない。ややもすると、足元をすくわれかねない。次期政権を期待する者としては、民主党に慎重な発言をしてもらいたいと願っている。
また、我々国民にとって一番懸念している事は、金融機関の貸し渋り、貸し剥がしである。ようやく、不良債権処理が終わったばかりの日本金融機関にとって、企業、特に中小零細企業に対しての融資は相当シビアになる筈である。日本政府も、金融機関に対しての公的資金の準備や、赤字国債の大幅な発行の覚悟と準備が必要ではないだろうか。550兆円にもなる膨大な借金への財政再建も必要だが、時と場合による。
こうなった今は、おもいきった英断が必要ではないだろうか。もっとも、一国だけの問題ではないので、一刻も早くG7による緊急首脳会議開催に向けて準備を進めてもらいたい。・・・

リーマン破綻   日本の財政
■総理の裁量
福田総理の無責任な職場放棄により、昨日自民党総裁選が党内で行われた。これに先立ち、以前開票していた地方票を合わせた結果、下馬評通り圧倒多数で本命の麻生氏が総裁に決定した。当人にしてみれば4度目の出馬で漸く念願叶った、と言うところだろう。
総裁選と前後して、舛添厚労省大臣の後期高齢者医療制度の見直し発言が表明され、与党議員からは「寝耳に水だ」と驚きの声が上がったが、この代替制度の検討については、麻生氏の了解を得ており、総裁になった暁には所信表明演説の場で言明するだろう。と発言していた。
これに対して、野党側から派手な総裁選の演出や後期高齢者医療制度の見直し発言は、次期衆議院選対策のパフォーマンスだと強く批判している。
果たして、麻生政権はどのような政治方針、政策をとるのだろうか、世界を震撼させたリーマン・ブラザースの大型破綻の影響に伴ない、遅くとも今年の年末頃から来年初頭にかけて、日本の経済に多大な影響を及ぼすだろうとする見方が、経済評論家達のもっぱらの予想である。平均株価は9.11のアメリカ同時多発テロ以来の1万円割れは必至、ややもすれば1929年の世界大恐慌の再来だとも言われている。そんな経済危機にどう対処していくのだろうか。麻生氏自身は財界人あがり、大企業中心の経済政策をとられでもしたもんでは、我々一般庶民はたまったもんじゃない。それでなくとも小泉政権下の構造改革以来、生活に窮々しているというのに。・・・
勿論、構造改革は必要事項である。
ただ、時期を誤っては大変なことになる。その時期を小泉さんは誤ったのである。だから麻生さんには熟慮に熟慮を重ねて頂いて、懸命な判断を下してもらいたいものだ。
また、小泉構造改革の煽りを受けた低所得者の生活レベルや「実態」を、お金に困った事のない御曹司総裁がどこまで理解しているかは疑問である。
いっそのこと次期衆議院選で、政権を野党に譲り一から見直す。というのも今後の日本を立て直す上で、いい機会ではないだろうか。
誰がどう考えても、「今の日本はちょっと変だぞ」と思っているんじゃなかろうか。汗水垂らして必死になって働いている人達が、報われない世の中では決して正常とは言えないだろう。資本主義社会(グローバル経済)だからしょうがないんだ、という諦観思想も理解は出来なくもないが、それでいい筈がない。
行き過ぎた市場原理を「政治の力」で抑制する時期がきたのではないだろうか。経済は生き物である。生きている以上、ルールや、規制が必要である。決して自然の成り行きに任せていたのでは、お金がある所にばかり溜まるけれども、無い所には一向に溜まらない。益々格差が広がるばかりである。
そういった意味で、次回の衆議院総選挙には賢明な判断で投票所に向かってもらいたい。・・・


自由民主党公式サイト   民主党公式サイト
■経営者の気概
私の知人に、ある会社の経営者がいる。彼は堅実な人物で、人柄も温厚で社員思い、率先して陣頭指揮を執り、社員からの人望も厚い。地方の冷え切った景気の中でも極めて堅実な経営を続けている。
そんな彼の身の上に、不幸な出来事が襲ったのである。
愛妻がガンの告知を受けたとの事だった。それもかなり進行しているらしい。ましてや、乳飲み子を抱えている身である。奥さんも未だ30代と若い。若いからこそガンの進行も速いだろう。
心中を察すると如何ばかりか。本当に居たたまれない心境だろう。さぞかし無念だったに違いない。そんな状況の中、彼はその心中を表にも出さず、たんたんと穏やかな口調で話してくれたが、ここ1ヵ月の間にかなりやつれた様に見受けられた。本当に辛かったのだろう。
今後の事を話してくれた「子供も未だ小さいし、女房を実家に戻して自分も女房の実家に入って、看病と子供の世話をしたい」と話していた。「会社はどうするんだ」と尋ねると「社員達に迷惑かけたくないので、身を引いて女房の実家の近くでアルバイトでも何でも良いから仕事を探すつもりだ」という。
なんという人物だろうか、ここまで、会社の為、社員の為に身を粉にして築き上げてきた会社を「社員に申し訳ない」と、後進に後を譲って、自身は犠牲になるというのである。経営者だから、出勤しなくともそれなりの報酬を受ける権利は当然にある筈である。にもかかわらず「社員に申し訳ない」と言うのである。
今時、こんな経営者はいないだろう。社員を犠牲に自分だけ良ければよい、という経営者は虫の数ほどいるが、こんな気概を持った経営者はそういるものではない。
こんな気概のある指導者もいるのに、方や、何にも残さずして無責任にも突然辞任する一国の主もいる。何とも、憤りを感じるが、こんな気概のある経営者のもとで働けるんだったら、とことん会社の為、社長の為に身を賭してでも頑張るだろう。そう思ったからこそ、彼に「そんな事言ったら、社員達がもしその事情を知ったら、かえって苦しむんじゃないのか」「奥さんが回復したら、その時また仕事に復帰して、迷惑をかけたと思うんだったら、その分頑張れば良いのではないのか」「その間だけ給料として貰っても良いんじゃないのか」と彼を説得した。私も彼も、震える声を奥歯でぐっと噛み締めながらの押し問答だった。
これも宿命だと悟れるんだったら楽にもなれるだろう。しかしながら、そんな簡単に割り切れる筈もない。神様が本当にいるんだったら、何でこんな素晴らしい人物を苦しめるんだろうか、と恨みたくもなった。
ただ、以前何気なく読んだ本の中に、こんな文面があった。「五体満足でなかったり、難病をかかえて生まれてくる子は、その両親が全て受け止めてくれる寛容の心をもっているからこそ、その親のもとに生まれてくるんだ」「親が子供を選ぶんではなく、子供が親を選んで生まれてくるんだ」と。・・・


倫理法人会   首相官邸

秋田内陸縦貫鉄道
■廃止の論理
秋田県の第3セクターに秋田内陸縦貫鉄道がある。その鉄道が年内中にも廃止される見通しのようだ。その理由は何といっても利用者の減少によって、採算が合わなくなった。というのが廃止理由の要因の様だ。事業経営という立場から考えると、採算が合わなければ廃止は止む無し、というべきところだろう。
交通網の充実している都会とは違い、自動車社会となった今日、特に地方では鉄道を利用する機会がめっきり減ってきている。
しかしながら、廃止されては困る人達も大勢いる筈である。特に、自分では車を運転できないお年寄りや、身体に障害をもった方達、或いは通学で利用している高校生がいる筈である。ましてや、ガソリンの高騰で、車通勤から鉄道に乗り換えようと思っているサラリーマンも大勢いる筈だ(見かたをかえれば鉄道業界はチャンスではないだろうか)。
壊すことは簡単だが、一旦壊してしまったものを、再度作り直すとなったら、莫大な予算が必要になるだろうし、労力も相当なものだろう。
何とかして、存続する方向で考えられないものだろうか。
利用者を増やす為には、先ず、利便性の向上だろう。例えば、各駅毎に私営のバス会社と提携して通勤ルートの範囲を拡大する事が先決だろうし、運賃の見直しもする必要があるだろう。また、旅行代理店と提携して「秋田内陸線ふらっと旅プラン」と題して、温泉巡りをするプランなんかも良いかもしれない。そんなこんなで、何かしら存続させる方法が見つかる筈である。もっとも、企画力と行動力がないとムリだろうが、もしそういう事だったら、外部から、その道のスペシャリストを招く方法だってある。嘗て、再建の神様といわれ、佐世保重工・来島ドック・函館ドック等の再建に成功した人物に坪内寿夫氏(故)という人物がいた。柴田錬三郎氏(故)の小説「大将」のモデルになった人物だが、このような再建のプロが必ずいる筈である。そんな人物を招いて再建させるのも1つの方法ではないだろうか。
いずれにしても、お役所仕事的な発想ではニッチもサッチもいかないだろうし、ただ儲からないから「止めちゃう」では余りにも情けない。宮崎県の○国原知事を見習ってもらいたいものである。
そんな中、地元ではこの秋田内陸線の存続を願って、応援している方達も大勢いるようだ。作曲家の川崎勉さんもその1人である。「逢いたくて」という曲を秋田内陸線存続のイメージソングとして、県内を回ってコンサートをしながら呼びかけているようだ。一人一人の小さな輪が集まって大きな輪をつくり、一人一人の心が集まって大きな真心となれば、ひょっとしたら奇跡を生むことだってできる筈である。
秋田県民の皆様方には、そんな奇跡の見本を、是非、作ってもらいたいと庶幾うものであります。・・・

秋田内陸線   ブログ♪逢いたくて   逢いたくて(世に問うBGM有りのコーナーのBGMでもあります)
■連帯責任の是非
夏の甲子園を前に、群馬県代表校(桐生第一高校)の野球部員の1人が不祥事を犯し、甲子園に出場するや否や物議をよんでいた。高校側の見解としては高野連に一任すると述べていたが、最終的には出場を認めることになったようだ。
同校は、ベンチ入りした部員以外は開会式の参加を見送って、試合の応援規模も縮小する旨の報告があった。最近では、今年6月の龍谷大平安や、明徳義塾、拓大付属が記憶に新しいが、そもそも甲子園出場の是非をめぐって物議をよんでいるのは、「連帯責任」という概念である。その意味は、複数の人間が、責任発生の直接の原因となる行為をしているか否かにかかわらず共同で同じ責任を負うこと。であって、極めて日本的な考え方で、集団的な発想の基に形成された概念だ。
古くは大宝律令から江戸時代の「五人組」や「切腹」行為まで日本史に数多く見受けられるが、必ずしも日本だけとは限らない。ナチスのアウシュビッツも有名である。
斯く言う私も、この連帯責任の狭間にあって窮々した経験がある。高校時代、応援団の一員として非常に厳しい練習に耐えてきた。我校の応援団(正式には応援リーダー)は選挙制をとっていた。多くの高校は応援部という部に該当する為、希望者は1年生から入部しタクトを振るのに時間もたっぷりある。ところが、選挙制の為、その任期は2年間であるが、実質的に生徒の前で応援歌のタクトを振る期間は約1年しかないのである。
3年になると後進の指導にあたらなければならない。その為、タクトを一人前に振る為には時間があまりにも短いのである。他校の応援団が1年間かけて仕上げているのに対し、正味4ヶ月間で仕上げなければならないのである。
中でも夏休みの合宿は「地獄」という言葉以外に表現のしようがないくらいきつかった。今でも鮮明に記憶しているが、校庭に傾斜30度位の土手があるが、その土手で腕立て伏せを100回クリアしなければ次の練習に進めない。10名の内、1人でも潰れると、また1からやり直しである。最初は、腕力に自信がある私でさえきつかったが、他の連中は勉強ばかりしていた連中なので、当然ながらすんなりやれる筈もない。結局、腕や大胸筋の感覚がなくなるまでやらされたのである。回数でいうと優に1000回は超えていただろう。それ以外にも限界を超えた練習(シゴキに近い)が続いた。挙句の果てに血尿の経験もさせられたのであった。
今思えば懐かしい思い出でもあるが、連帯責任などというものは「押して知るべし」である。
「なんびとも自分の犯した罪以外で責めを負わされてはならない」という人道主義を無視した行為である。と言いたい。この連帯責任なるものが、一部の時代錯誤な教育者によって未だに言われているようだが、最近では、日本高野連も不祥事に関して連帯責任を緩和しているようである。罪は罪として、その当事者が負うべきことは言うに及ばないが、夢を実現させようと必死になって頑張っている人達、真面目に取り組んでいる人達の意志を尊重できる社会、夢を実現させられるような社会にならなければならないと思うのだが。・・・

日本高野連   阪神甲子園球場
          
          今年の冬は益々厳しくなる!!
■原油高騰の歯止めは如何に
暫定税率の廃止論議をめぐって、一時期は世論も大いに盛り上がったのが僅か4ヶ月前の、今年3月の出来事だったのだが、ガソリン代や灯油代が至上最高値を更新しているにもかかわらず、漁業の一斉休業宣言以降、さほど話題にも上がらなくなった原油価格の高騰だが、国民の、一種の「諦め」とも思われる様に感じられる今日この頃だ。
この暑い夏を過ぎると、あっと言う間に寒い冬がやってくる。そうなると、暖房費への影響が大きくなる。ガソリンは高いは、本当にきゅうきゅうとした生活をおくらなければならなくなる。灯油に至っては、5年前の約3倍の1リットル当たり130円、18リットルでは約2.400円(今日現在)である。
我が家の灯油消費量で計算すると、1ヶ月間の灯油代(12月〜3月平均)が1ヶ月=約36.000〜40.000円にも及ぶ。我々庶民にとってはとんでもない負担増になる。バイオエタノールの原料を生産する為に、穀物が不足し、食料品の高騰に繋がり、投機筋の注目を集める。原油もしかり、オペックの生産調整を背景に、先物市場に流れ込んでいる投機マネーの注目を一身に浴びる。これによって益々富裕層と低所得者層の格差が広がる。この二極化が進んだ背景には行き過ぎた資本主義、アメリカ型グローバル経済の影響が大きいのではないだろうか。
この現象は何も日本だけではない。世界的な規模で問題となっているが、それでは、日本はどの様にしたらこの問題を解決出来るのだろうか。先ず、念頭に置かなければならない事はグローバル経済・市場経済の動きを日本単独で止める事は間違いなく不可能であり、世界各国が連携して投機マネーの動きを規制しなければならないだろう。しかしながら、その元凶であるアメリカが乗り気ではないらしい。
今のアメリカ経済はサブプライム問題から、瀕死の状態である。その瀕死状態の米ドルを日本は4分の1も保有しているということだ。現在の世界相場では米ドルよりもユーロが高い。その原因となったのは、そもそもイラク戦争である。産油国の潤沢な資金がドルを離れ、ユーロに乗り換えたのが最大の理由らしい。
日本は未だに米ドルから離れられないでいる。日米安保、日米同盟を考慮しての事と考えられるが、小泉政権からその方向が顕著に表われてきている。その小泉構造改革の副産物として、アメリカ型グローバル経済の追求に伴ない「規制緩和」が政策として挙げられる。その規制緩和の中には派遣労働法の改正がある。その結果、ワーキングプアといった流行語まで生まれた貧困層を作り出し、富める者と貧困層の二極化を助長した経緯がある。その図式は中小企業と大企業、地方と首都圏の格差をも生み出した。今の政権、政治もその延長線上にあって、大企業を優先する考え方は、未だに変わってはいない様だ。増収、増収で充分体力を取り戻した大企業の、減税措置をそろそろ見直しても良いのではないだろうか。自由主義や競争至上主義を過信して、弱肉強食の世の中となってしまった今日、孟子の教えを請うて「強い者が弱い者を助け、大きい者が小さい者を庇う」といった基本的正義感を、心底から持たなければならない時期に来ていると思うのだが。・・・

原油価格先物チャート   OPEC事務局長発言
世界遺産登録延期
先月の岩手・宮城内陸地震の騒動で、世界遺産登録に向けての注目が薄くなってきたのだが、カナダのケベックで行われた国連教育科学文化機関(ユネスコ)の世界遺産委員会で、登録延期が正式に決定された。
当初、ユネスコの諮問機関であるイコモス(国際記念物遺跡会議)の指摘で、延期勧告を受けていた。
その理由として
1.文化的伝統の存在を伝承する物証が無い。
2.傑出した空間造形の見本とは言えない。
3.世界的にも比類のない土地利用形態とは言いがたい。
4.浄土思想の各論点で世界遺産にふさわしい普遍的価値の証明が不十分である。
などの理由によって延期を勧告した様である。
これに対して、平泉の基調を成す浄土思想の世界的意義は、中尊寺を建立した藤原清衡公が「故むとして命を落とした人達の御霊をすべて浄刹へ導きたい」とする中尊寺供養願文を引用し、「平和希求」「万物共生」「自然との融合」の精神に通じ、ユネスコ憲章の精神にも通じるものとして、文化庁はイコモスの指摘事項に対して反論を含む補足説明を行った。
ともあれ、登録が確定すれば東北では初めてである念願の世界遺産登録に、地元民(私も含めて)は大いに盛り上がっていた。
登録確定によっての経済効果も期待できたのだが、もし、登録が確定すれば登録決定までの努力よりも維持する努力、世界遺産としての誇りに決して恥じる事の無い様に、自覚しながら受け継いでいかなければならない。世界遺産としての景観の維持は勿論だが、普遍的価値のある浄土思想を、如何にして地元民への「啓蒙活動」が益々重要になって来るのではあるまいか。
ややもすると、受験の為に丸暗記して合格した受験生が、本当に重要な勉強もしないで学生生活をおくる学生(私もそうだったが)と一緒では何の意味もない。
何れにしても、次回の審査に備えて、イコモスの指摘項目を1つ1つクリアしながら、地元民として気を引き締め直していきたいものだ。・・・
 毛越寺  中尊寺